実は、松井和氏には一度お会いしたことがあります。15年も昔の話ですが。
この方は教育関係の講演会などを行ってもいらっしゃっており、私の住む地域に来て下さった時、私はボランティアスタッフとして参加していたんです。
打ち上げの時に、松村さんのお話になり、いろいろと貴重なお話を聞かせていただきました。
多感な少女時代に憧れに憧れた松村さんを直接知る人が目の前にいる・・・・と。もうそれだけで泣きそうになってしまったっけなぁ。
松居氏いわく
『今時の若者って感じはぜんぜんしなかった。明治時代の書生みたいだったね。良いヤツだったけど、芸能界には向かないだろうなって思った。』との事。
ええ、そういう方でした。
(ネットで見つけたポスターのアップ。履物は革靴。堀の深い顔立ちでありながら、不思議と和風の服装が
似合う方でした。)
SEPIA時代はクールなイメージが強かったのですが、その奥にあるシャイでナイーブなところ、真面目さが故に深い葛藤と抱えざるを得なかったところは幼心にも気付いていました。
そして、そんな松村さんだからこそ、思春期の私には憧れだったのでしょう。
さまざまな葛藤を抱え、人として成長することでその葛藤から脱却しようとしていた・・・
こんなはっきりした言葉ではありませんでしたが、そんな風に見ていました。
(眉間に深い皺を寄せるのが松村さんの癖。この癖からも考え込む性格が出ているように思えるのは私だけでしょうか?)
多才でありながら才に奢ること無く、それを誇ることも無く。
少女達の歓声を浴びても、無頓着を通していた、自分の生き方に妥協できない青年。
そんな青年の葛藤を吐露した1stアルバム。
そして青年期の葛藤を少し通り過ぎ、他者(おそらくはファン)への暖かなまなざしを獲得した2ndアルバム。
今聞き返すと、1人の青年が『表現をすること』を通して成長した様も見られるんですね。
さすがに中高生の頃は、そこまで理解する力はありませんでたが。
この作品集(松村さんは、自分のアルバムをこう名づけました。純文学を相当に読み込んできたからだから出てきた言語センスでしょうね。このセンスも好きだったなぁ。)を聞いて、SEPIAメンバーの中でも特に松村さんの大ファンになった私は幼いながら見る目があったと思っています。
残念ながら、松村さんの音楽活動はSEPIA解散(彼らは卒団、と言っていました。)と同時に終了。
松村さんはその後、舞台やテレビドラマ、OAVなどで芸能活動を続けていたのですが、30代半ばほどの年齢で引退。
現在は本業のコンピュータープログラマーをなさっている説、舞台の裏方をやっている説、色々と飛び交っていますがはっきりした情報は入ってきません・・・
(個人的には、コンピュータープログラマーの傍ら舞台のお仕事しているのではないかなぁって思っています・・・それにしても。コンピュータープログラマーってフリーで出来る仕事なのでしょうか??よほど優秀でなければ無理ですよねぇ・・・まぁ、SEPIA時代の発言からも、頭脳明晰なのは伺えましたが。)
10年ほど前にSEPIAメンバーが集まってテレビに出たのが最後に見た姿でした。
(哀川翔さんのオフィシャルサイトにその時の写真が掲載されています。SEPIA時代よりずっと表情が柔らかくなっていたのが印象的でした。)
3年前の大震災の時は、募金集めのためのCDで詩の朗読という形で参加してくださったそうです。
被災者としてお礼が言いたいですね。
そのCDの存在を知ったのが、実は今年。
問い合わせてみましたが、返事はありませんでした・・・もう、在庫ないのかな。
自らを冬の風と名乗り、本当に冬の空っ風のように芸能界を駆け抜けた青年は今、どうしているのでしょうか。
どんな些細な情報でもいいので、ご存知の方、教えて下さい・・・