私が子育てを
大変とか労働だ って苦しんでいたのは、
旦那からの感謝や愛情が欲しいと思っていたから。
つまり、感謝や愛情が「ない」「足りない」
と思っていたから。
だからもっと欲しい!もっと欲しい、
こんなに大変なんだから、私!
こんなにがんばっていて 可哀想なんだから、私!
ってアピール。
『ある』に気づけるようになってから、
そんな
【自分は可哀想アピール】いらないやん!!
って気づいた
自分の中で『ある』を感じて
その『ある』幸せに浸ってればいいだけだった。
「ない」わけじゃない。
「ないことにしておきたかった私」がいただけ。
「ない」面しか見ようとしてなかっただけ。
私の思った形じゃ なくても
いっぱいあった。いっぱいもらってた。
「可哀想そうな私」のほうが
構ってもらえて なんだかお得
と思っていたみたい
そりゃ、「私、可哀想」なことになるよね。
そうしたかったんだもん。
それ、もういーらない
わざわざ可哀想な私にならなくても
『ある』を見ていけば、
どこにだって、何にだって『ある』
自分が 受け取るって決めたら
もうすでに 溢れるほどあった
私の世界を『幸せ』にするのは私
誰かや何かがどうであれ
自分の気持ちは
自分で選べる
そして、
子育て=労働 、大変なもの
ってしてた自分の前提を、
子育て=
めっちゃ面白いエンターテイメント
に 変更していこう
そしたら、
仕事休みなのに、子育てするのも、
旦那への罪悪感もなくなるし、
自分も楽しい
そんな私は 『めっちゃ族』で
旦那は『ふ〜ん族』
(心屋さんのブログ読んで、めっちゃ腑に落ちた!笑笑)