①25年前に初めてのホームコース(みとCC)で、5年上の息の合ったキャディさんが付くと必ず優勝していた時期がありました。償還するまでの8年間で、その最後の2年間は40回クラブ競技に出て、内優勝8回、HC23→10まで急上昇しました。ラウンド数はだいたい年間40*2年ですから毎月4週は練習R、競技、練習R、競技のサイクルでした。番手選び、マネージメントすべてお任せして彼女の言う通りにラウンドしてました。

 
②セカンドホーム(東海CC 愛知県で2番目に古い昭和36年開場の山岳コース)で、某団体のコンペ幹事をしてて、前ハーフ44打ったから、後半は娘と同い年の25歳のキャディさんに、「全部任せるから、クラブ勝手に選んで、そのまま打つから」とラウンドしたら、後半34でした笑笑 やっぱり冷静な客観的判断のできるキャディさん任せにした方がいいみたい。「幹事のくせにやり過ぎ」とたくさん言われました。でも同伴者のケーキ屋さんはホールインワン(4回目)してましたけど。。
 
③15年以上前、2つ目のホームコース(伊良湖CC)理事長杯の予選36Hを終えて8位で16人に残りました。2週目からは予選通過者全員(16人)にマッチで負けるまで専属キャディが付きました。僕のキャディは25歳の地元農家の娘さん。僕は又してもキャディさんにクラブ選択とマネジメントを完全一任し、番手を確かめず、素振りもせずに2回ワッグルしてそのまま打ちます。
「どこ狙えばいい?」と目安だけ聞いて、そのまま打ってしまいます。菜花のような娘さん曰く、「道具屋さんミンゴルみたい」だと言い、コロコロ笑っています。二人の息が合ったのか、2週目の8決18H、4決18H、3週目の36H準決勝も勝ち上がり、4週目の36Hに臨みました。その決勝の日は、20mの突風が吹いていて、同日に行われていたフジサンケイ女子OP川奈が中止になった日です。
 
「なんでプロが中止なのに、アマの僕らが試合するの?決勝は来週にしない?」とブツブツ文句を言ってラウンドしたら、29H目で負けました。ハンデマッチプレーですから、HC2の相手からハンデを5H*2R=10H分貰って+6ホール残りですからボロ負けです。そのぐらい腕前に差(HC2対HC7)があったので、僕有利の下馬評の真逆の結果でしたが、僕は負けて当然だと思ってました。厳しい突風が吹く中、ローフックでランを稼ぐ相手には、ハイボールしか打てなかった僕が適う筈もなかったのです。
 
144ホール僕のキャディさんは、その年の夏に結婚して地元のキャベツ農家に嫁いでいきました。マスター室に頼んで退社の日に合わせて胡蝶蘭をコースに送っておきました。1ヶ月後小包が届き、新婚旅行で行ったエジプトで購入し、アラブ語で僕の名字とラクダの絵を刺繍した黒のポロシャツと、エジプトで夫婦でラクダに乗った写真を何枚か同封されてました。「必ず次のクラチャン頑張ってくださいね」のメッセージのその約束は未だ果たせていませんが・・・