自然運動と癒し―コエックスの実践/UNIO
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この本を読んだのは4~5年前のことだったろうか。
詳細はほとんど忘れたが、この本の主題であるコエックスと名付けられた「運動」が突然自分の身に降りかかったことがある。
それはまさに「降りかかった」という形容に相応しい出来事だった。
そう、出来事だ。
朧げな記憶を辿ってみると、こうだ。
コエックス(co-ex)とは、意識の拡張というような意味だったと思う。
もしかすると違うかも知れないが…
具体的には、野口整体の活元運動やイスラムのスブドゥと同様の「自然発生」的に起こる運動のことだ。
まあ全然具体的になっていないが…
かなりザックリ説明すると、自分の意思とはあたかも別物のように自分の身体が動き出すことを指している。どのように動き出すのかというと、関節という関節がそれぞれ独立した意思を持ったように好き勝手な方向に、それも激しいスポーツをする時のような速度で動き出すのだ。
もちろんこうした身体の動きは日常生活ではまったく必要とされていないような動きだ。
全身で行うポジティブな貧乏ゆすりと言えば何となくイメージできるだろうか。
傍から見れば、「ドン引き」間違いないと思う。
頭はまるで何かを激しく否定するかのように大きく右左に動く。
腰はうねるようにグラインドする。
肩は前に後ろに回転する。
とにかく人体の可動部という可動部がすべて一斉にダンスを始めるのだ。
もちろん顔の筋肉も例外ではない。チックというのがあるが、原理としては同じなのだと思う。
当然、その時の表情はかなり、ヤバいものになる。
何とも騒がしい話だが、ただ、頭の中だけはシンとしている。
それが起こった時、おれは一人ソファに寝そべっていた。
当時、腰痛に悩んでいたこともあって何気なく腰をひねったり浮かせたりしていた。
するとそれに連動するように両脚が開いた。心地よい感覚があった。ストレッチをしたときのような感覚だった。
腰をひねる。脚が開く。
ボンヤリしながらその動作を半ば無意識にしているうちに、変化を感じた。
疑問が湧いてきた。
今、これは、この動きはおれがやっているのだろうか。
そう思った次の瞬間には、コエックスが始まっていた。
これは何だ⁉
一瞬、不安を感じたが快感の方が勝っていた。
そう。それは快感だった。それもかなりの。
横たわったままおれはおれの身体が勝手に踊るのを許可した。
おれはおれの身体がバラバラにダンスするのを眺め続けた。
様々な気づきが頭の中を去来した。
数人の目に見えない腕利きの整体師から施術されてるような快感が続いた。
やがて、これは身体自身が自らの歪みを治そうとしていることに気づいた。
一見、バラバラな動きに見えたが、そこには完璧なコンビネーションがあった。
おれはソファの上をのたうち回りながら冷静に「アナーキー」な運動を見守った。
これは制御不能とは違う。止めようと思えば止められる。
だが、おれの意思、思考では思いつかないような動きだった。
日常生活ではほとんどの場合、思考が先で身体の動きがその後に続くが、それが逆転していた。
動きが先で、頭がついていくという流れだった。
予想もつかない師匠に振り回される弟子といった感じだった。
弟子である思考は訳もわからずついて行く。
そして後になって、師匠のことが分かるというような。
そのうち弟子は師匠に完全に降伏し黙ってつき従う。
そんな感じだった。
「自働調整プロセス」
確かそう名付けられていたと思う。
小一時間ほど続いた「自働調整プロセス」は徐々に収束していった。
「それ」が去った後、頭はクリアになり、全身リラックスしていた。
もちろん腰痛は跡形もなく消えていた。
身体は自身を治すことを知っている。
それを邪魔しているのは他でもない思考なのだとおれはあらためて確信した出来事だった。
その後、コエックス、つまり自働調整プロセスは一度だけ起こった。
今では呼び水になるような動き、コツのようなものも掴んではいるつもりだが、特にそれを起こそうとは思っていない。
それがいつなのかは分からないが、適切な時にそれは起こるだろうと思うからだ。