久しぶりに… | Hack or Fuck ?

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昨日の未明、久しぶりにコエックスが起こった。

家族はとっくに寝静まっていたが、昼まで寝ていた自分は全然眠くなかったので、軽く読書したり、iPhoneをいじったりしていた。

映画でも観ようかとも思ったが、何となく瞑想の方が面白そうな気がしたので、やってみることにした。

瞑想といっても、どこかで習ったわけでもなく、真似事のようなものだ。

眠くなれば、そのまま寝ればいいやというイージーなノリだ。

どうやったかというと、部屋の灯りを消し、胡座をかいて呼吸を整える。

整えて、湧き上がる思考を見守る。

ただそれだけだ。

思いつきでやってみたが、これが意外に面白い。

色んな思考が湧いては去っていく。

で、そのうち始まった。

最初は眉間のあたりがピクピク引きつるような感覚が起こる。

そのうち口角が上がってくる。仏像とかの笑みみたいな感じだ。

これはおそらく制御する意識が緩むと自然に起こる筋肉の反射運動なのだろう。

似たような現象はアルコールやドラッグでも見受けられるはずだ。

分かりやすく言えば、酔っ払った人が、時折、顔をくしゃっと歪めたりするようなものだ。

違うかもしれない…

まあでもそんな感じだ。で、口角が上がる。もちろんおれは酔っ払ってるわけではないから、表情を元に戻すことはできる。

できるけど、放っておく。ただ観察をする。

そのうち今度はチックの症状が現れる。「症状」といっても病気ではない。これはダンスなのだ。

ダンスが始まれば、おれの出る幕はない。おれは自分の顔面で繰り広げられるダンスの観客となる。

客観的に見れば、確かにこれは変だとは思う。ただの変なおじさんだ。

だがもちろん、放っておく。

下顎が左右に忙しく揺れる。頬が引きつる。いや、引きつるのではない。これはストレッチなのだと気付く。

日常生活において、意識の底に沈めておいた感情が浮かび上がっているのだろうと思う。

そのうちダンスは首に降りてくる。勝手に首がカクカク動く。連動して肩が回るはじめる。腕が円を描きはじめ、その先の手首をシェイクする。

ひとつひとつの動きは、何かスポーツをする前の準備運動のようだ。着実に凝りを解していく。それもかなり効果的だ。

ただ、それが、自分の意思とは別だというところが、普通のストレッチや準備体操とかと違うだけだ。

何も考えなくていいから、楽ではある。何の学問的知識も要らない。

おれは、勝手に身体が自分の歪みを治しているのを邪魔せず(制御せず)見守るだけだ。

そうこうするうちに、アナーキーなダンスは上半身から下半身に移動していく。もはや胡座などかいていられない。腹筋が波打つ。こうしたトリッキーな動きは日常であまりやる必要がないなと思う。

両掌が腹を素早く撫で回す。内臓が疲れているのかもしれない。

…と、いう感じでプロセスは一時間以上続いた。

今回は、足の方はあまり激しい動きはなかった。

感想としては、現代人は相当自己を制御あるいは抑圧しているのだということを再認識させられた。我々は理由がないことを極端に恐れているのだ。「無益」なことを嫌うのだ。

理由なく起こることを恐れるのは誰か。嫌うのは誰か。

思考だ。

思考は、自らの理解を超えたものに拒否反応を示す。拒否反応という壁を作る。自ら高い壁を作り、外を見えなくする。そして、お決まりの台詞を吐く。

「あり得ない」「代案を出せ」etc…

コエックスは、そうした問いには答えない。

問いが終わったところから、それは始まる。


実にシンプルだ。

コエックスが起きたとき、人がすることは何もない。

ただ身体が動くままにすればいい。

そうすれば、治癒は自然に起こる。

確かにそれは思いもつかない動きをする。確かにアナーキーだ。

だが、その動きを見ていると、完全な秩序があることが分かる。もちろんそれは、社会秩序とは違う。


生命そのものの秩序だ。

同時にそれこそ我々が恐れているものなのかもしれないと思う。

我々は、本当に必要なものを恐れて遠ざけている。

おれは、ふと最近ハマっているホ・オポノポノのことを思う。浄土真宗のことを思う。どちらかと言うと、軽視していた他力本願の思想を思う。

おれはまだ、無秩序の此岸をウロウロしている。
















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