ここのところ何の因果かクルマで関東一円を走り回っている。
おかげで昼飯はコンビニで買った弁当かファミレス等で食べることが多くなった。
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先日は線量が高いと噂されている柏の運動公園で初めて「除染工事」の風景を見た。
野球場のグラウンドの土を何台ものブルドーザーが掘り返しては新しい土を流し込んでいた。
すぐ隣には小学校があり、ちょうど掃除時間だったらしく、子供たちが校庭の隅にパラパラと散らばり草取りなどをしていた。おれが学校の周囲を散策しているとフェンス越しに使い捨てのポリ手袋をはめた女子児童が草取りをする手を止めて元気な声で「こんにちは!」と挨拶してくれた。
道路を挟んだ向かいにある保育園も園児たちが元気に走り回っていた。
マスクをしている子は一人もいない。おれは誰に責められた訳でもないのに、自分がマスクをしているのは花粉症のせいなんですと言い訳めいたことを声に出さず呟く。
「除染工事」と走り回る子供たちが同じ風景にあることの事実がおれの感覚を締め付ける。
こうした光景は北関東、東北では日常のものなのだろうが、実際目の当たりにすると、本当にこれでいいのかと思う。できれば杞憂に終わって欲しい。数十年後、「ああ、あの頃は放射脳なんてイカレた人たちがいたっけ…」というような笑い話になって欲しい。
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昨日は千葉の国道沿いで見つけた長崎チャンポンの店でチャンポンを食った。
エビやイカ、タコ、野菜たっぷりのチャンポンは「相変わらず」旨かった。
しかしこれらの食材が一体どこのものなのかと勘繰ると正直なところやはり落ち着かない気持ちは隠しきれないものがある。
「こんにちは!」と言ってくれたあの児童の声を思い出す。そして不意に町田町蔵(町田康)の「メシ喰うな」のことを思い出す。
俺の存在を頭から打ち消してくれ
俺の存在を頭から否定してくれ
あのふざけた中産階級のガキ共を
ぶちのめす為に
町には色とりどりの花を持った
貧乏そうな顔つきの国鉄の客
人の海、人間
おまえらは全く自分という名の空間に
耐えられなくなるからといってメシばかり
喰いやがって
メシ喰うな
インディーズパンクの名曲と誉れ高いこの「メシ喰うな」を当時ティーンエイジャーだった町田町蔵がどのような心境で書いたのかは知る由もないが、2013年の現在の俺の胸に真逆の意味をまとい異様なリアリティを持って迫ってくる。
「中産階級のガキ共」や「貧乏そうな顔つきの国鉄の客」であるおれたちはこのまま産地を気にせずメシを喰い続けても大丈夫なのだろうか。ある日突然「ぶちのめされ」たりはしないだろうか。
口の端からチャンポンの麺を垂らしながら、おれはそんなことを考える。
そしてこの「メシ喰うな」は2011年を境に嫌悪の歌から愛の歌に変わったのかもしれないと思う。
3.11はあらゆる価値観を反転させた。