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論語に「夫子の道は忠恕のみ」とある。
「忠恕」とは何か。

◼︎「恕」とは女扁(へん)に口に心。
「口」は領分。如とは女の領分。「ごとし、そのまま、ながら」…という文字。
では、女の領分は「何の如し」なのか。


そもそも、東洋思想においてこの宇宙は「絶えざる創造・変化・活動・進行」である。
それを「天」と呼んだ。
そして、その限りなき働きを「造化」と呼んだ。

人間にとっての「造化」の最たるものは、自分をつくり、人をつくること。
子供を産むことは女性にしかできない。

つまり、男に比べると女性の方が自然そのままの造化を代表している。

だから、造化の如き心・造化そのままの心を、女扁として「恕」とした。

「恕」とは、親の心、母の心、慈悲の心である。

「造化」というものの特徴は、まず限りなき包容力。包容して親しみ、そして根気よく全てを育んでいくこと。

そこで「恕」とは「許す」という意味になる。
「恕(ゆる)す」ということは、素性も過去も一切咎(とが)めることなく内包すること。
理屈・批判・排除することなく、とにかく恕す、包容していく。
包容しないと造化につながらない。


◼︎「忠」とは様々な矛盾を止揚(相対するものを処理し、一段上へ発展させること)し、それを進化させていくことである。

「造化」という、万物を創造育成していく努力のことを「忠」という。

これで「忠恕」になる。

つまり、
「恕」とは万物を包容することであり、
「忠」とは万物を創造変化させて高めること。
従って、「忠」は「恕」の中にある。


私達はそれをどこから始めるか。
ただの知識にとどまっていては、強く豊かに生きる上で何の意味もない。

「孟子」はこう言った。

「仁を求める」ことから始める。

仁とは「思いやり」「心遣い」であり、「共生」であり、「実践」「創造変化」「成長」である。
「万物を包容して生成化育させていく働き」であり「造化」そのものであり、どこまでも自力主体の行動である。

天地万物一切の物事は己の心に内包され、全て自分の肚の中の出来事となる。無我となる。
それは「造化」「天」と一体になることである。


日常から離れることなく、
己が、万物を包容し創造変化させて、限りなく成長発展していく。
己の志・野望・夢を、仁をもって実現していく。

これが「忠恕の道」の体現である。