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◼︎自處超然  じしょちょうぜん
◼︎處人藹然  しょじんあいぜん
◼︎有事斬然  ゆうじざんぜん
◼︎無事澄然  ぶじちょうぜん
◼︎得意澹然  とくいたんぜん
◼︎失意泰然  しついたいぜん

自ら処すること超然(ちょうぜん)
人に処すること藹然(あいぜん)
有事のときには斬然(ざんぜん)
無事のときには澄然(ちょうぜん)
得意のときには澹然(たんぜん)
失意のときには泰然(たいぜん)


「六然」は、明(中国)の崔銑(さいせん)の「崔後渠集(さいこうきょしゅう)」という語録の中に出てくる。彼が獄中にいた時に王陽明に語ったとされる言葉。
勝海舟がよく揮毫していた。


◼︎自処超然
自分自身に関しては世間の物事に囚われず、恬淡(てんたん)としている。

◼︎処人藹然
藹然とは、春になって木々が新しく一斉に青々と伸びる姿。
人に対しては、相手が活き活きできるよう温かく和やかな雰囲気で接すること。

最初の2つは「自分と他人」という距離感の対比。
自分には「超然」とし、他人には「藹然」。
「超然」とは、一歩離れて客観的になること。
「藹然」とは、近付いて主観的になること。とても和やかな様子。

「自分に固執せず(超然)、他人と和めよ(藹然)」「自分から離れ、他人に近づけ」。


◼︎有事斬然
何か問題があるときに、うろたえたり逃げたりへこたれたりせずに一刀両断。

◼︎無事澄然
無事の際には、水のように澄み切っている。

次の2つは「事が起こった時(有事)」と「事なき時(無事)」の対比。

有事には「斬然」、刀で一刀両断するよう明断を下す。
対して、無事には「澄然」、澄んだ水面のごとく静けさを保つ。その激しさと静けさの対比。


◼︎得意澹然
得意の時にはあっさりしている。
澹は淡と同じ。淡とは、偏りがなく他と比べようが無い何とも言えない味のこと。水の味。静かで安らかな気持ちでいる。

※「崔後渠集」では、澹→欿(かん)になっている。欿とは、物足りないという意味。自分自身に物足りない、まだまだ駄目だという感じが、欿然。
いかに得意な時にも、何か足りないような心境を持っていることが欿然であり澹然。

◼︎失意泰然
失意の時も泰然自若としていること。失意の時にあっても何でもないように振る舞う。
呆然とするのではなく、大所高所から眺めてみることで、死地に活路を見い出す。

3つ目は「調子の良い時」と「落ち込んだ時」の対比。その状況は両極端だが、心の反応は「淡然」と「泰然」、どちらも「落ち着き」を表す。
心の状態は「一つ」に収束する。