人間とは器であり、それぞれに与えられた運命がある。その運命がどういうものかを見極めるのが「易学」…ではない。
そもそも、「易」の第一義は「変化」である。だから、変わらない事を「不易」と言う。
運命とは「命(自分にとって絶対的なもの)」を運ぶことであり、誰が運ぶかといえば、それは自分自身に他ならない。
運命は変わる。
自分で変えていける。
自分の命を知り、それをどう変えていくか、運んでいくかを考え、学び、実践していくことが「易学」であり、「易経」である。
もちろん、現状に甘んじ、流されていくという生き方がある。自分の「命」をそこへ留める。それを「宿命」と言う。
一方、自ら志を立て、努力して「命」を運ぶ生き方もある。それを「立命」と言う。
・「宿命」論に立って生きるか。
・「立命」論に立って生きるか。
・それ以外か…。
私は立命論に立つ。
なぜ「立命」と考えられるのか?
思考をポジティブにするからである。
なぜ思考をポジティブにできるのか?
そもそも人間は造化(創造変化)の働きから生まれたと考えるからである。
「易経」は立命論に立脚していると私は考える。立命とは、創造であり展開である。伸びやかで明るいエネルギーである。
人の気持ちを強く優しく、そして明るく伸びやかにさせる。
これが立命である。
易学である。
人物である。