西洋思想は、自然と人間を対立的に捉えてきた。だから自然に対して「征服」「開拓」「勝利」等の言葉を使う。
例えば、「山を征服した」というように。
東洋思想は、人間は自然から生まれ、自然を受け継ぎ、人間の使命・役割において自然を発展させるものと考える。
だから、人間の法則は自然の法則に基づく。
自然の摂理というものの、人間の理解による摂理の解明、そこから自然に親しむことで、人間は本物の発展が望める。
自然と相克(相対し争うこと)するような文明は修正すべきである。
鎌倉時代、伊勢神宮の村松家行の庇護の下に活躍した北畠親房の神道学に、
「志す所は機前を以て法と為し、行ずる所は清浄を以て先と為す」とある。
「機前」とは夜明け。一日の夜明けは、光明で静寂で清浄である。
これが自然であり、物事の始まりであり、初心である。
初心忘るべからず。それは、「明るく、清く(素直・正直)、静けく」あること。
人間を自然と一致させるなら、明清静を失ってはならない。
夜が明けて、様々な活動が始まると世の中は汚れ、うるさくなり、堕落していく。
初心に帰れば、もっと明るく、素直・正直で、静寂になる。
これが、自然が人間に教えてくれる最初の摂理である。
自然の特徴の一つは、易経にあるように「天行健」「自彊不息」。
健やかで、絶えざる創造変化であり、どこまでも努力し続ける。
そして、円満無限の流通である。
人間は自然のように、明るく、素直・正直であり、人物として出来上がってくると落ち着いて静かになってくる。
また、健やかで、怠ることなく努力し、いくつになっても自己を変化させ創造していく。
そして、大きな器量、無限の心を修養し、行き詰まることはない。変化して限りなく円通(周円融通の略・真理は遍く行き渡り、その作用は自在であること)していく。
これが東洋思想でいう自然の本体であり、
人生の本体である。