東洋思想◇学問・教育の六義

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六義とは、「安・楽・休・遊・粛・厳」

これは諸子百家の衆知を編集した「呂氏春秋」に書かれている。


「達師(たつし)の教えは弟子(ていし)を安(やす)んじ、楽しみ、休み、遊び、粛(つつ)しみ、厳(おごそ)かならしむ。此の六者を学に得れば、邪僻(じゃへき)の道塞(ふさ)がり理義の術(みち)勝つ」



1.「安」→教育というものは、まず弟子を「安心」させなければ始まらない。師の言う事ではどうも安心出来ないというのでは教育にならない。



2.「楽」師の教えを受けることが「楽しい」ことが大切。楽しまなければ学問も深化しない。

「論語」も「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず」(知る者は好む者に及ばない。好む者は楽しむ者に及ばない)と言う。


「好む」と「楽しむ」の違いは何か。

「好む」とは好き嫌いの感情、本能的意味合いが強い。そこに理性や教養が加わると「楽しむ」となる。

例えば、お茶。

お茶が好き、に理性や教養が加わると「茶道」となり、好みも洗練されてくる。それが「楽しむ」である。


先生が魅力ある人だと、その先生が教えてくれる科目は数学でも古典でも世界史でも楽しくなる。

しかし、先生がつまらない人間だと、楽しい科目も嫌になってしまう。



3.「休」この漢字は「人」が「木」の下に立っているという字。旅人がその旅の途中に木陰を見つけて一息ついている状態。疲れが癒され、救われ、気が休まる。心身がほっと一息つけるという文字。


学問も同じ。弟子がほっと一息つけて、学問の有難さを感じさせるような先生が欲しい。



4.「遊」「休」をもっと積極的にしたもの。学に遊ぶ。子供が無心になって遊ぶように、学問の中に遊ぶ。遊学。


そもそも「遊(游)」とは、何の抵抗もなくゆったりと自然に流れていく黄河のダイナミックさを表す。


学問・芸道は遊ぶこと、優游自適(何の抵抗もなくゆったり自然に流れていくこと)することが大切。



5.「粛」学問との一体感が出てくると、自ずから内面的に粛(つつ)しむようになる。



6.「厳」内面的に粛(つつ)しむようになると、学問が意義深いものになる。本人が学問と一体感を得れば得るほど、学問の本質や本義に触れて「厳粛」になる。



このように、学問・教育の方法論は、安・楽・休・遊・粛・厳の6つに帰する。

これら6つを学問・教育に得れば、邪(よこしま)になったり僻(かたよ)ったりする外道(げどう)は塞がり、人間はいかに生きるかという「理義の術(みち)」が明らかとなる。