祖母が引っ張り出してきたのは、ママの浴衣だった。紺地に白抜きの花が散っている。
「私の浴衣、無かったっけ?」
淡い水色の浴衣を思い出しながら聞くと、祖母はフンと鼻を鳴らした。
「あんな子供っぽいもの着るつもりだったの?とっくにチエミちゃんにあげちゃったよ」
親戚の小学生の名前を出されて、私は惨めな気持ちで紺色の浴衣を見つめた。
「貸してごらん」
祖母に手早く着付けられ、鏡を覗くと否応なしにため息がこぼれた。
「私には、まだ早くない?」
私の傍らに立って、祖母も鏡を見た。
「自信を持ちなさい、春海」
鏡の中の私と目を合わせながら、ゆっくりと言う。
「顔立ちは千春とそっくりなんだから。服に負けるはずないでしょ?いつまでも千春の影に隠れていると、どんどん自分が霞んでいくよ」
「私は、」
鏡の中の自分と目を合わせたまま言う。
「私はママみたいになれない。ママみたいに、華やかに、まっすぐになれない」
「いいのよ」
祖母が言う。
「春海は春海でいればそれでいいの。春海でいることに堂々としてればいいの」
「…難しいよ、それ」
ぼそりといった私に少し笑いながら、祖母は一歩下がった。
「髪もやってあげようね」
祖母は髪を結った後に、唇に紅もさしてくれた。いつものリップとは違う、微かな罪悪感を含んだ赤色。
「春海は綺麗よ」
言い含めるかのように祖母は言う。私はようやく、鏡の自分にきゅっと笑ってみせた。
下駄をカランコロンと鳴らしながら、暗くなりかけた道を歩く。慣れない浴衣はひどく歩きにくくて、それが余計に私を高揚させた。
良い気分で歩いていると、前から千歳が帰ってくるのがみえた。
「千歳」
目をあげて私に気が付いた千歳は、目を見張って静止した。しばらく固まっていた後、ふうっと目元を和らげる。
「春海か。千春さんかと思った」
その瞬間、激しい屈辱感が体中の血管を流れた。体がカッと熱くなったために、下駄の冷ややかさが急に痛く感じる。
「私は、ママじゃないよ」
千歳は一瞬怪訝な顔をした。
「知ってるよ」
「嘘つき」
「嘘つきってなんだよ。千春さんみたいな浴衣着てるから驚いただけで」
「この浴衣は、」
自分の冷ややかな声に寒気を感じながら言う。
「この浴衣は私のだもん」
千歳は私をなだめるようにちょっと笑った。
「夏祭り?デートか?」
「…部活の人と!」
本当は走ってその場を去りたかったのに、浴衣と下駄が邪魔をする。さっきまでは楽しんでいた動きづらさも、こうなると腹立たしいだけだ。
後ろで見送っているらしい千歳にせめてもの見栄をはりたくて、背筋を伸ばして足早に歩いた。
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