春休み、こっちに泊まりに来ないか。父からそのように言われ、数日東京に滞在することにした。祖母は少し渋っていたが、祖父の説得で何とか納得したようだった。
「春海と今藤さんは親子なのだし、仲だって悪くないのだから、わしらが邪魔するような真似をしたらいかんよ」
けれど、自分で言い出したくせに、東京駅に降り立った私の心はひどく憂鬱だった。父の家には、もちろん父の今の奥さんだって一緒に住んでいるのだ。父から彼女のことについて語られたことは、ほとんどなかった。それは父の気づかいだということは分かっているし、私だってそんな話は聞きたくないと不機嫌になっただろう。けれど今となっては、全く知らない人のいる家を訪問することにひどく怖気づいている。
東京駅まで迎えに来ると言う父の申し出を断ったので、一人で電車を乗り継いで最寄りの駅まで行かなくてはいけない。それくらいはできると思っていたが、人の多さに既に泣きたいような気持になっていた。こんな忙しないところで、人は暮らせるものなのだろうか。もしもこの街で暮らすことを選択したとして、私はやっていけるのだろうか。
千歳に言われるまで、考えもしなかった選択肢。それがあの日以来、私の中で澱のように留まっている。
「初めまして。優香、といいます」
苗字を言わずに自己紹介したのは、気遣い故なのだろう。父の再婚相手はゆったりとほほ笑む少し地味な人だった。ママとは正反対のタイプを選んだのだな、とこっそりと思ってしまう。
いきなり家で彼女の手料理を食べる気まずさを考慮してくれたのだろう。初日の夜は静かなレストランで食事をとった。
かちゃり、と食器が微かに音を立てる。静かな店で良かった。あまり喋りすぎないのも、ここではマナーとなる。
「週末には休みをとれたから、行きたいところがあったら考えておきなさい」
「うん、分かった」
きっと行こうと思えば一人でどこでも行けるけれど、素直に頷く。
「平日は、相手をしてやれなくて済まないね。何かあったら優香にききなさい」
優香さんはその言葉に遠慮がちにほほ笑んだけれど、失礼にならない程度に首を横に振る。
「大丈夫です。平日は、その、大学を見て回ろうと思っていて」
「大学」
父は一言言ったけれど、その声には驚きと、隠しきれない喜びが滲んでいた。
お父さんも、向こうで待っているかもしれない。千歳の言ったことは本当なのかもしれない。
「こっちの大学来るつもりなのか」
肉を切りながら父は尋ねる。期待を隠したいとき、私も同じように相手の目を見られない。
「まだちゃんと決めてはいないけど。でも選択肢にはいれても、いいかなって思っている」
「そうか」
父はようやく私の目を見て微笑んだ。
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