「えっと、やっぱりやめておこう…かな…」
遠慮がちに言い出すと、音無くんは眉毛を下げてすごくしょぼくれた顔をした。罪悪感を感じるけれど、ぐずぐずしているわけにはいかないのだ。私の記憶が正しければ、俊基と鉢合わせしてしまうのは、この直後だ。
「いいじゃないですか。彼氏だって出張でしょ?一回食事するくらい浮気のうちに入りませんよ」
無理やり腕を掴まれる。思わぬ力の強さに顔をしかめた。
「痛いよ」
「俺の気持ちも考えてくださいよ。ずっと楽しみにしてたんですよ。一回くらいチャンスくれたっていいじゃないですか」
こんな強引な人だったのかと内心頭を抱える。さっさと帰って俊基からの連絡を待ちたいのに。
その時、遠くの方に小さくその姿を認めて、咄嗟に音無くんをツリーの陰に引っ張り込む。一年間見なくても、忘れはしない恋人の姿。
「どうしたんですか」
音無くんの怪訝な声でハッと我に返る。
「やっぱり、私帰る。ごめん。今度ちゃんと埋め合わせするから」
強引に帰ろうとするけれど、音無くんの腕の力が強くなっただけだった。
「彼氏に遠慮してるんですか。大丈夫ですよ、ばれませんって」
ばれるからこんなに焦っているのよ!と叫びたくなる気持ちを必死で抑える。
このままでは埒が明かない。とりあえずこの場を離れようと口を開いた。
「分かった、分かったから。とりあえず移動しよう」
そう提案すると、私が折れたと思ったのか、音無くんはぱあっと表情を明るくさせた。
「やった。こっちですよ。」
そう言って俊基がいる方向に歩き出そうとするので、思いっきり彼の腕を引っ張った。
「そっちはダメ。こっちから回っていこう」
不審な行動をとり続ける私に音無くんは何か言いたそうに口をもごもごさせたけれど、急くようにツリーの左側からそっと抜け出す。
ちらりと振り返って俊基がこちらに気が付いていないことを確認しながら足早に歩く。この場を離れたら音無くんを説得して家に帰ろう。そうしたら恐らく俊基から連絡が入るから、何もなかったふりをして会いに行こう。あまり良く無い頭を必死に回転させてこの後の計画を立てる。
「ここです」
そうこうしているうちに音無くんはある小さなレストランの前で足を止めた。雰囲気の良い洒落たレストランで、思わず顔をしかめた。その辺の居酒屋でいいと言ったのに。こんな店でクリスマスディナーだなんて、本物の浮気みたいじゃない。
「ちょっとつてがあったんで、急でも予約とれたんです」
入りましょう、と扉を引きかけた彼を急いで止める。
「待って。さっきから言ってるけど、私帰りたいの」
その言葉に振り返った音無くんの瞳が見たことのないひんやりとした色をしていて、思わず一歩後ずさった。
「リカさんってさ、ほんと勝手だよね。ここまで来ておいて今更彼氏に悪いとか思ってるの?もう同じことだよ。今帰ったって、リカさんとクリスマスデートしたって職場で言うことだってできるんだよ。何かの拍子で彼氏の耳に入ることだってあるかもね?」
まるでため息をつくように淡々と告げられ、体が凍る。子犬のような可愛らしくて扱いやすい後輩の彼はどこに行ってしまったのだろう。何も言い返せない私を見て音無くんはふっと表情を崩して笑ってみせた。
「俺だってリカさんを脅すような真似はしたくないんです。ね、食事だけでも付き合ってもらえればこれからしつこくしたり付きまとったりしませんし」
思わずうなずいてしまう。音無くんはにっこりと笑ったけれど、その笑顔を見ても安心することなんてできなかった。
「良かった。さ、入りましょ。外寒いもん」
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