子犬とチョコレート 1 | better than better

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彼は、私の死んだママのことが忘れられない。
一方通行の片思いたち


素人小説です

 都心から少し離れた街の、緑が豊かな遊歩道から一本路地に入ると、石畳の道の奥にその小さな店はある。

 チョコレート専門店『Midi de dimanche』。超有名店と言うわけではないが、ネットでの口コミで訪れる人が少なくはない程度の人気店だ。店長はまだ30代前半の若いショコラティエで、一人で店をやっていくのには十分の実力を持っている。だが、しかし。

 

 「おはようございます」

開店前の店に入ると、既に厨房に入っていた高山店長と目が合った。

「広畑、寝不足なんじゃねえか?目の下に隈ができて、更に不細工な顔になってるぞ」

開口一番そう言われて、思わず両手で目の下を押さえる。

「朝っぱらから、ほんっと失礼ですよね」

「うるせえな。ほら、とっとと仕事始めろ」

分かってますよ、と言い返して奥のスタッフルームに向かうと、深川君が倉庫から段ボール箱を2つ抱えて出てきた。

「あ、広畑さん。おはようございます」

「おはよう。ね、隈そんなに目立つかな?」

「なんなんすか、いきなり」

そういって笑った彼は私の顔を覗き込んでちょっと心配そうな顔をした。

「確かにちょっと疲れてる感じはしますよ。大丈夫っすか?」

「えー。やだな。そんなにやつれてる?ちょっと昨日なかなか寝付けなくて。」

本当は店の先月の会計整理に手間取っていたのだけど、そう言って笑う。

 去年うちの店に就職した新人ショコラティエの彼は、少し調子のいいところはあるけれど、優しい子だ。素直で可愛いとも思う。それに引き換え、と制服に着替えながら顔をしかめた。高山店長の意地の悪いこと、悪いこと。

 口は悪いし、暴言は吐くし、おまけに目つきだって悪い。ショコラティエとしての腕は確かだけれど、絶対にあんなのじゃモテないと思う。のに。

 開店準備を始めようと店内に戻ると、ガラス張りになった厨房から、高山店長に手招きをされた。

「なんですか?」

埃を立てないようにそっと近づくと、「口開けろ」とだけ言われる。

「え?」

そう漏らした隙に、口に何かを捻じ込まれた。途端に広がる、カカオの香り。

「美味しい」

「お前はいつもそれしか言わねえよな。もうちょっと違うこと言ってみろよ」

「すいませんね、ボキャブラリー不足で」

けれど、その豊かな甘さで少し元気が出る。寝不足には甘いもの、が私の持論だ。

「ありがとうございます。準備してきますね」

店長は、さっさと行け、と言う風に右手を振った。

 厨房を出ながらまだ口の中に残るほろ苦い甘さを確かめる。それと、唇に一瞬触れた細い指先も。

 時折こんなことをしてくるものだから、彼を好きでいることをやめられずにいる。

 

 その日の売上をまとめ終えて帰ろうとすると、店長と深川君がまだ厨房に残って作業をしていた。

「お疲れ様です」

そっと外から声をかけると二対の目がこちらを向いた。

「お疲れ。今日の分は終わったのか」

「ええ、まあ。そっちは新作の準備ですか?」

「そう。バレンタインbox。大体イメージは固まってきたんだけど、なんか、いまいちバシッと決まらないんだよなあ」

「広畑さん、なにか案、ありません?」

深川君に尋ねられて、考える。

「ハート型、とか」

言った途端に二人が微妙な表情をしたのが分かった。

「深川、だめだ。こいつはセンスとか独創性ってものが無い」

「女性の意見を取り入れてみたかったんですけどね…。残念です」

「役立たずですいませんね!」

むっと口を尖らせると、高山店長が大きなため息をついた。

「今日はもうだめだ。深川、もう上がれ。俺はもうちょっと考えてみるわ」

「分かりました」

店長が集中するときは一人になりたがるのを知っているので、深川君もあっさりと頷く。

「じゃ、お先に失礼します」

深川君が店の奥に消えるのを見送って、自分も店を出ようとしたが、店長に呼び止められる。

「あいつ待って帰ればいいじゃん。どうせ同じ方向だろ?同僚置いて帰るなんて冷たい奴だな」

「そんな言い方しなくてもいいじゃないですか」

「あれ、お二人また喧嘩してるんですか」

さっさと着替えて戻ってきた深川君が苦笑した。

「喧嘩じゃねえよ。ほら、とっとと帰れ」

「言われなくてもそうします」

足早に店を出ると、後ろから深川君がついてきた。

「ほんと仲良いですよね」

「どこが!」

「だって店長、広畑さんが暗い中一人で帰るの心配してたんでしょ」

そう言われてまじまじと彼の顔を見る。

「…まさか」

「絶対そうですよ。あの人、そういうところあるの、広畑さんだってよく知ってるでしょ」

確かに彼の言う通りで、何となく俯いて歩いた。こんなことで浮かれた気持ちになってしまう自分は本当に馬鹿だな、と思いながら。



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