いずれ海へ還る | better than better

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彼は、私の死んだママのことが忘れられない。
一方通行の片思いたち


素人小説です

「泣いているのですか?」
その声にぼんやりと顔をあげると、背の高い知らない男が立っていた。
「…泣いています」
そう答えた自分の声は、随分泣いていたせいで、酷く掠れていた。
「そうですか。それは良いことです。涙は海となり、星を潤す」
男は戸惑う私を気にも留めない風にベンチの隣に腰掛けた。
「海、ですか」
「海です」
男はすっと空を見上げた。
「涙はいずれ乾く。つまり蒸発します。それは空へゆき、やがて雨になるでしょう」
「あの雲みたいに」
「その通り」
灰色に浮かぶ雲は、重苦しく私たちの頭上を覆っている。
「雨は地にしみ込みいずれ湧き出る。もしくは川へと降り注ぎ、流れる」
「そして海へ」
「そう。全ては海へ」
私はふうっと息をはいた。
「涙は海の一滴となり、大きな渦を作るでしょう。小さな魚の群れが泳ぎ、光に照らされた鱗が煌めく。そこに大きな魚がやってくれば食われるでしょう。けれど彼らが終わることはない。命は続くものだから」
ご存知ですか?と男は続ける。低く、柔らかな声音。
「全ての命は海より生まれたのですよ」
「全て、ですか」
私はそっと腹を撫でた。
「全て、です。生命は海で生まれ、いつからか陸にあがった。陸で生命は孤独だ。空気は私たちを隔てこそすれ、繋げてはくれない」
「私とあなたも?」
「そうです。こうして私たちはすぐ隣にいるけれど、決して一つにはなれない」
「どんなに抱き合っても溶け合いはできないように」
「けれど嘆くことはありません。いずれ私たちは死に、海へと還る。土になり、或いは灰になり、またあるところでは風によって塵になり、それは全て雨とともにいずれ海へ還る」
「みんな?」
「みんな。海では孤独は存在しない。海は繋がっている。海に在るものは、全て繋がれている。個は無くなり、大きな海として星を青に染める」
もしも、と私は小さな声で呟いた。
「もしもこの世に生まれてくる前に消えてしまう命があったならば、それはどこから来てどこへ行ってしまうのでしょう」
男は私の腹をじっと見つめた。
「先ほど海は繋がっていると言いましたが、ただ一つ、切り離された海がある。女の子宮です」
「子宮」
「女の腹は切り離された海だ。命を宿し、豊かな水で満たされ、やがて命を産む」
「私の中の、海」
「陸地に生まれなかった子供は、海で生まれ、海へと戻っていく。心配はいりません。あなたの海は、究極的には全ての海と同一だ。私たちが還る場所は、たった一つなのだから」
男は立ち上がった。
「涙は乾きましたか?」
私はそっと目頭を押さえた。
「ええ。そのようです」
「いずれあなたの涙が海へと還る日まで。そして私たちがいずれそこで再会する時まで。しばらくの別れです」
「また、会えますか」
「もちろん。言ったでしょう?私たちは皆、最後はたった一つの海となるのだから」
去っていく男の背を見送りながら、私はもう一度腹をそっと撫でた。
その瞳を見る前に、その声を聞く前に、息をしてその胸に空気を満たす前に逝ってしまった私の赤ちゃん。
私もいずれそこに行きます。それまで、どうか、どうか温かな水に抱かれ眠っていてください。


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