スプリングモンスター 2 | better than better

better than better

彼は、私の死んだママのことが忘れられない。
一方通行の片思いたち


素人小説です

 「とりあえず一回春田を推薦して、そっからお前が立候補して当選したら面白くねえ?」
その会話を聞いてしまったのは偶然だった。先生に頼まれて資料室へと荷物を置きに向かう途中。廊下にたむろしている男子たちがゲラゲラと笑いながら楽しそうに話している。うちのクラスで目立っている男の子たちで、全員運動部で勉強もそこそこ真面目にやる格好のいい人たちだけれど、私は少し苦手だった。彼らの春田君への態度は、一際冷たい。その集団の中にトヤマ君の姿を見つけて、なんだか落胆してしまった。
 聞こえてくる会話には特にエネルギーのある悪意は感じられず、ただちょっと面白い遊びを思いついたかのような軽さしかなかった。
「あいつ毎年学園祭実行委員に選ばれてるっていうのが心の支えみたいな感じだしさ。落選した時の顔、見てみたくない?」
落選した時の顔は期待できても、その時の彼の気持ちなんて存在すら想像できない人たちなのだと余計嫌な気持ちになる。足早に通り過ぎてしまおうと顔を上げると、廊下の向こう側にこっちを向いて立っている誰かの姿が見えた。
 春田君だった。
 春田君は全く彼に気が付いていない男子たちを無表情で見つめていたけれど、ふいっと廊下を曲がって行ってしまった。
 思わず駆け足になる。と、私に気が付いたらしいトヤマ君が気まずげに呼び止めてきた。あんな悪戯を企むことに、一応罪悪感でも持ち合わせているのだろうか。
「それ、一緒に運ぼうか」
「いい。すぐそこだし」
予想以上に冷たい声が出てしまったけれど、構わず小走りに彼の横を通り過ぎる。後ろで振られただのなんだのとトヤマ君を茶化す声が聞こえたけれど、立ち止まって否定する気にもなれなかった。

 「春田君」
彼に追いついたのは、階段を一階下がったところの踊り場だった。呼び止めたはいいものの、何と言っていいかわからず口を噤む。そもそも何故追いかけてきてしまったのだろう。
 春田君は少し驚いた顔で振り向いたけれど、私の表情を見てぷっと吹き出した。
「なに、わざわざ追っかけてきてくれたの?ありがとね」
ふざけた口調で言う彼に、悔しさがこみあげてくる。けれど私が怒るのも可笑しな話だし、そもそも教室では周りの目を気にして春田君に話しかけることすらできない私に、怒る資格なんてないのだ。
 何も言わない私に困った顔をすると、春田君はどっこいしょ、と階段に腰かけた。
「いや、いいんだよ。3年生で実行委員やるのも大変だしさあ。みんな楽しくやってくれるんならそれで」
明るい声に責められているような気持になる。だって誰だってみんな自分が一番なのに、
「なんでそんな周りのことばっかり考えられるの?もうちょっと自分にいいように上手くやればいいじゃん」
殆ど八つ当たりのように言葉を彼に投げつける。酷いことを言っている自覚はあった。春田君はきゅっと唇を引き結んだ。
「あんなにクラスのために頑張ったって結局毎年馬鹿にされてきたんでしょ。どうして学ばないのよ」
「別に、周りのことばっかり考えてるわけじゃないよ」
今まで聞いた春田君の声で一番落ち着いている声でそう言われ、ひゅっと言葉を飲み込んだ。
「俺、イタイって言われてるんでしょ?まあ、そう言われてるのは知ってるんだけどさ」
でも、と静かな声で続ける。
「周りにイタイって思われるより、自分が痛い方が嫌なんだよ。我儘なんだ。だから自分が痛くない行動をとってるだけ」
学ばないんじゃないよ、と彼は言った。
「自分がやりたいように、やってるだけだから」

 「春田君を推薦しまーす」
本当にやるのだ、と私は絶望的な気持ちになった。学級委員長は発言した彼と春田君をちらりと見てから、黒板に『春田』と書いた。
「他にいますか?自薦でも他薦でもいいです」
意地の悪いにやにや笑いが教室中に満ちていく。いつ立候補するのが一番面白いだろうかと、虎視眈々とタイミングを伺う獣たちが潜む教室。
 前の席に座る春田君の背筋は伸びている。彼らの企みを知っているはずなのに、全く知らんふりでじっと前を見ている。
 けれど私は気が付いてしまった。机の下でズボンを強く握りしめる両手。真っ白になって小刻みに震えている。
 目の前がちかちかした。ここで、たった一人で震えているスプリングモンスター。どんな時だって下を向かない、小さな小さなモンスター。本物の怪物の住むこの教室の中で、彼はこんなに無力だ。
 教室中の目が私に向いているのに気が付いた。それもそのはずだ。普段ホームルームで発言なんてしたことのない目立たない女子が、右手を挙げているのだから。
「えっと、樋口さん?」
学級委員長も戸惑ったように指名する。がたりと椅子を鳴らして立ち上がったところで、立つ必要はなかったのだと思い出した。
「立候補?」
立ち上がった上になかなか発言しない私に焦れたのか、委員長が促す。
「春田君が、」
最初は小さな声しか出なくて、ほとんどの人が聞き取れないというような顔をしたのが分かった。
「春田君がいいと思います」
委員長はますます戸惑った顔をした。教室もしんと静まり返っている。私の鼓動だけが響く。
「春田はもう既に名前挙がってるけど」
ちらりと下を見ると、春田君は身体ごと振り返り、丸い目をさらに見開いて口もぽかんと開いてこちらを見つめていた。
「でも、私も春田君がいいと思ったんです」
それだけ言って耐えられずに椅子に座った。
「春田でいいんじゃないか。四月頃もクラスをよく纏めてくれたし」
横から空気の読めない担任が口を出す。委員長は意見を求めるように教室を見渡したけれど、誰も発言しなかった。
「じゃあ、春田君で決定ということで」
春田という文字の上に、黄色いチョークで丸を描く。なんだか、花が咲いたみたいだとぼんやり思った。

 ホームルームが終わってぞろぞろと教室から人が出て行く。さっきまで室内を支配していた微妙な空気は、まるで無かったみたいだ。
「樋口さん」
誰の声かなんて、すぐに分かる。
「さっきの、何あれ」
からかうように言う春田君の口元には、いつも通りの笑みが浮かんでいた。
「恥ずかしいことしちゃった」
おどけて答えると、春田君はますます可笑しそうに笑った。
「あんな変なことする人だと思わなかったよ」
余計なことをしたのかもしれない。けれど。
「私も、自分が痛いの、嫌なんだよね」
そう言うと春田君は笑いをすっと引っ込めた。
「うん」
真面目な顔で頷く。
「ありがとう、な」
そう言った後、がしがしと頭を掻いた。
「いや、ありがとうじゃねえよ。受験もあるし忙しいのにさ」
わざと怒ったように叫んで、それからまたにっと笑った。
「だから、樋口さんも手伝えよ」
その笑顔は、初めて怪物に立ち向かった私への、小さな勲章のようだった。



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