Спасйбо за угощение! 2 | better than better

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彼は、私の死んだママのことが忘れられない。
一方通行の片思いたち


素人小説です

  クリスチーナとの新居は、川の近くの小さな家だ。ヴァスチキン家は金持ちなので、結婚したばかりでもこうして一つ家を持つことができる。 この家で私とクリスチーナ、アンドレイとクリスチーナの『食料』であるカルルの四人は暮らしている。
  アンドレイはもう私と同じものを食べることは無い。『清め』を始めたアンドレイとカルルは野菜を煮込んだスープの上澄みしか飲まない。肉や魚はおろか、固形物を口にすることはできないのだ。
「アンナ、おはよう」
クリスチーナは毎朝そう言って私の額にキスをしてからベッドを出る。その度に私は何も知らない娘のように照れてしばらくベッドに隠れてしまいたい気持ちになる。
  「本当は、アンナのこと随分前から知っていたの」
始めて両家で顔を合わせた日、クリスチーナはこっそり耳打ちしてきた。
「あの教会の中で、一番熱心にお祈りしていたでしょう。私、あなたの横顔が好きだったわ」
こんな綺麗な女の人にそう言われて、舞い上がらない筈もなかった。どこか浮つきながら家に帰った私を、留守番をしていたアンドレイは無表情で迎えた。
「アンナ、クリスチーナのことが気にいったんだね」
その声で一気に私は夢から醒めた。
「別に…。気にいる気に入らないの問題じゃ無いでしょ、結婚って」
「なんで?どうせなら好ましい女の人と結婚できた方がいいじゃないか」
私はアンドレイの顔色を伺った。
「…怒っているの?」
「なんで?」
ようやく表情を取り繕ったアンドレイは幾分柔らかい声を出した。
「喜んでいるんだよ、僕は。アンナ、結婚おめでとう。…幸せに」
  その結婚生活では、もうアンドレイと私は隣り合って食事をとることはない。畑仕事をする私をアンドレイが手伝うことも、皿洗いを分担することも、二人でこっそりと菓子を棚からつまみ食いすることもない。アンドレイは眠ったりスープの上澄みを飲む他は、聖書を読んだりふらりと散歩をすることくらいしか許されていない。

  「アンナ、何かあたしに隠し事していない?」
ある日の朝食の席でそうクリスチーナに聞かれ、狼狽えた。
「なんで?別に、何もないわよ」
「嘘。アンナは嘘が下手だわ。全部顔に出てるもの」
私は唇を噛んだ。
「ねえ、私に言えないこと?私たち、結婚しているのに」
無邪気でまっすぐな悲しみをぶつけられて、ますます苦しくなる。けれどこれは私自身も認めなくはないことで、
「月のものが、来てないんだろう?」
いつの間に部屋に入ってきていたのだろう。アンドレイの言葉にクリスチーナはガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
「それ、本当?」
私は渋々と頷いた。
「やったわ!子どもができたのね!私たちの、子ども!」
そう手を叩いて喜んだ後、彼女はようやくアンドレイの方を振り返った。
「アンナが身籠っているって、よく気がついたわね?」
「まだ子どもができたと決まったわけじゃないわ」
往生際悪くそう呟くと、アンドレイは首を横に振った。
「アンナのお腹には、赤ちゃんがいるよ」
「だからなんで分かるのよっ!」
急に大声を出した私に驚いたのか、クリスチーナは喜びの表情を引っ込めて黙り込んだ。
「分かるよ」
けれどアンドレイは落ち着いた声のまま続けた。
「僕はもうじきアンナの一部になるんだ。それくらい、分かる」

  身籠って実家に帰った私を、ターニャとソフィアは手放しで喜んで歓迎した。
「おかえり、アンナ!疲れたでしょう。早く中に入って休みなさい」
「アンナをよろしくお願いします。アンナ、気をつけて過ごして、元気な赤ちゃんを産んでね」
そう言ってクリスチーナは川沿いの家に帰って行った。その背中を見送りながら思い出したのは、出発する時にカルルがアンドレイにかけていた言葉だ。
「さようなら、だな。永遠に」
勿論私達には聞こえないようにしていたつもりなのだろうが、私の耳はしっかりとそれを捉えてしまっていた。
「お前がそう思うのならそうなのだろうな。けど、僕は帰ってくるよ。アンナと、その赤ん坊の一部になって」
アンドレイのその返事を聞いてしまった途端クリスチーナが私の手をとって馬車に乗せたので、それにカルルがなんと返したかは、分からない。
  明日、私はアンドレイを屠殺する。そうして夕食にする。大事に、大事にしてきたアンドレイを食べて、私は元気な赤ちゃんを産まなければならない。
  夜、どうしても寝付けなかった。こっそりと部屋を抜け出してアンドレイの部屋へ向かう。幼い頃からそうしていたように小さく三つノックをすると、すぐに扉が開けられた。
「何してるの、アンナ。早く寝なよ」
「アンドレイだって寝ていなかったくせに」
アンドレイは困った顔をしながら、私を部屋に入れた。
「ねえ、私、本当にアンドレイのこと食べなくちゃいけないのかな」
ほとんど私のために置いてあるようなクッションを抱えながら床に座る。ぽつりとそうこぼすと、アンドレイは溜息をついた。
「今更何を言うんだ」
「なんだかまだ信じられないのよ…いつかは来るって分かっていたことなのに」
「そう?」
アンドレイはなんでもないことのように言った。
「僕は、やっとか、と思ったよ。随分長かった。ようやく僕の生まれた意味があると思ったよ」
「どうしてそんなことを言うの」
彼の前で泣くのは反則だと思ったけれど、意志に反して涙は溢れる。
「アンドレイは、ただ私に食べられるためだけに生まれてきたっていうの?」
「そうだよ」
アンドレイは最早微笑んですらいた。
「僕は、もうずっと、アンナのものなんだから」
コンコン、とノックの音が聞こえてソフィアが扉を開けて顔を覗かせた。
「二人とも何をしているの。ターニャに見つかったら怒られるわよ」
「ごめんなさい」
それもそのはずだ。屠殺の前日に『食料』とあまり側にいるのは良くないとされているのだから。
「ほらアンナ、行くわよ。おやすみなさいアンドレイ」
「おやすみなさい」
閉じる扉の向こうで手を振るアンドレイに、私は何も返すことが出来なかった。
「アンナ、あなた怖いの?」
暗い廊下を歩きながらソフィアが口を開いた。
「…そんなことないわ」
強がる私にソフィアはそっと微笑んで肩に手を置いた。
「恥じることはないのよ。それだけあなたがアンドレイを大切にしていたということでしょう?」
本当にそうなのだろうか。私はただ彼のまっすぐな目が、そしてその目から光が消えることが怖いだけなのかもしれない。
「私は子どもを産めなかったから、」
ソフィアは続けた。そうだ。私を産んだのはターニャの方で、ソフィアは結局子を産むことはなかった。
「私の『食料』だった彼は出荷されていったわ。きっとどこかの工場で加工されて、彼のことなんてこれっぽっちも知らない女の腹に収まったんでしょう」
だからね、とソフィアは続ける。
「あなたに屠殺されて食べてもらえるアンドレイは、幸せだと思うわ」

  準備の整った小屋で、私はアンドレイに、一杯のウォッカを手渡した。アンドレイは躊躇いもなくそれを一気に煽る。麻酔は肉に残るとされるので使うことはできない。この一杯の酒だけで彼らは自らの死を迎えなくてはいけない。
「ねえ、アンナ」
少し酔ったのだろうか。いつもよりも拙い喋り方でアンドレイは私を見て幸せそうに笑った。
「僕はきっととても美味しいよ。とても、とても愛されていたから」
「アンドレイ、その台に頭を載せなさい」
なにも返せない私の代わりに、ターニャがアンドレイを促した。アンドレイは素直にその言葉に従って、首の部分に溝がある台にうつ伏せになった。
  ターニャが私に無言で斧を渡した。手が震える。この先は、私がやらなくてはいけない。私が、アンドレイを、私のアンドレイを殺さなければいけない。私よりも小さかったアンドレイ。いつだってまっすぐな目で私を見つめていたアンドレイ。いつからか私を追い抜かして、優しい顔で見下ろしていたアンドレイ。
  いつの間にかがっしりと成長していた首筋を見つめる。朝のうちにターニャと一緒に付けておいた赤い標が目に煩い。そこに、斧を、振り下ろして、
  ごちり。
  失敗した、とすぐに分かった。中途半端に折られた頚椎は変な方向に曲がって、どくどくと血は溢れ出すのに、アンドレイの全身は打ち上げられた魚のように震える。
  目の前がふらりとして、思わず彼の頭の横に手をついて倒れ込みそうになる。真横にある彼の顔は下を向いていて表情は分からない。けれど、口の端が僅かに上がるのが見えた。その口が微かに言葉を紡ぐ。私にしか聞こえない、小さくか細い声。
「アンナは、僕のものだ」
急に後ろから引っ張り上げられ、その手に斧を握らされる。殆ど操られるがままにその手と一緒に再び斧が振り下ろされる。アンドレイの首が胴体と別れて、ごろりと転がった。
「さあ、早く調理に取り掛かりなさい。ソフィアも手伝って」
私の手から斧ごと手を離すと、ターニャはてきぱきとそう言った。
  小屋の地面に転がるアンドレイの頭を、私は見ることが出来なかった。

  台所の主はソフィアだ。私は彼女に言われるがままにアンドレイの皮を剥いで肉を捌いた。包丁を入れるたびに血が滲んで、これは肉なのだと思い知る。
  胸の肉はさっと茹でてサラダの具に、腹の肉はしっかりと焼いてステーキに、足の肉はよく煮込んでスープに。骨で出汁をとって、髪の毛は香りを出すために束ねてスープに一緒に入れられた。細くて艶やかな金色の髪の毛。私はそれらがぐつぐつと音を立てて煮込まれるのをぼんやりと眺めていた。
 ソフィアが 一番最初に陰部を切り取って避けたことを思い返す。
「ここはどうしても清められない部分だから。食事が終わったら埋めにいきましょう」
  それは丁寧に布に包まれて、今も私の視界の隅にある。
  食卓に並んだのは、今まで見たこともないような豪華な食事だった。これを私は一人で食べきらなければいけない。
  アンドレイは、私のものだから。
  まずスープを飲む。さっぱりとした味だ。澄んだ彼の目。肉を食べる。しっかりとした食感。そうだ、これは彼を支えて、どこへでも運んでいった足。
  次はサラダ。茹でた肉を口に入れる。全くぱさついていない、しっとりとした舌触り。この瑞々しさが、彼の心臓を守っていた。
  ステーキ。脂の程良くのった赤身。この家で私と働きながら暮らしていた頃はこんなに脂は無かったはずだ。『清め』の時間が、彼を柔らかく美味しくしたのだ。
  私は食べた。ナイフで切って、フォークで刺して、口に入れて、咀嚼、咀嚼、嚥下。溢れ出る肉汁が溢れないように口をしっかりと閉じながら、噛んだ。最後の一欠片まで決して残さぬように、どんなに腹が膨れても一言も発さずに食べ続けた。
  皿が空になり、私はようやくフォークを机に置いた。初めて顔を上げると、二人の母親に向かって、にっこりと笑ってみせる。
「ご馳走様でした」



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