デートは3回目が勝負です | better than better

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彼は、私の死んだママのことが忘れられない。
一方通行の片思いたち


素人小説です

 客の女と雇い主である博士の前にお茶を置くと、瑤子は博士の隣に腰かけた。博士は古くて埃っぽいソファを買い替えようとしないので、通勤するときは洗濯機で洗えるようなボトムスを履くようにしている。けれど目の前に座る女は、綺麗なスカートに白い埃が付くことにまで気が回らないようだった。
「それで、ご相談というのは?」
興味のない素振りを隠しもせずに博士が尋ねる。瑤子は内心ひやひやしたが、客の女は全く気にする様子もなく、逡巡しながらも口を開いた。
「ここで、惚れ薬を買えると聞いたのですが」
またか。最近客と言えば惚れ薬を求めてくる者ばかりだ。どうやらネットの口コミ、というもので一部で話題になっているらしい。
「ああ、そう。あなたも惚れ薬。はいはい」
博士は心底どうでもよさそうに応対して、瑤子の方を向いた。いつから洗っていないのか分からないぼさぼさの髪の毛ががさりと揺れる。
「瑤子クン、持ってきてあげて」
その言葉に頷くと遥子はソファから立ち上がって、奥の収納庫へと薬をとりに行く。そこには博士の発明した薬やらへんてこな道具やらが並んでいるが、最近活躍の場を与えられているのは、もっぱらこの惚れ薬くらいだ。
 その薬を丁度3回分持って事務室に戻ると、なにやら糸に複雑な結び目を作って一人遊んでいる博士と、当惑したようにそれを眺めながら黙りこくって座っている女の姿が目に入った。
「はい。これが惚れ薬ですよ」
助け舟を出すようににっこり微笑んで彼女の前に小さな袋に入れたそれを差し出すと、女はほっとしたような表情を浮かべた。瑤子は優しく頷いて見せると再び腰を下ろした。博士が浮世離れしている分、常識人であるのが自分の努めだと心得ている。
「あなた、吊り橋効果って知ってる?」
急に言葉を発した博士にびっくりしたように女は目を見開いたが、こくりと頷いた。
「危ない状況をともにすると、恋愛感情が生まれるってやつですよね?」
「まあ、だいだいそんな感じ」
博士は彼女の持つ薬の袋を指さした。
「その薬は、生物を人工的に吊り橋にいるような状態にする効果がある。交感神経を刺激して、心拍数あげたり身体を興奮状態にもっていくんだ」
客はあまり理解していないような表情で聞いていたが、博士は構わず続ける。
「とりあえず最初のデートの時にそれを相手に飲ませなさい。そうしたら向こうが勝手に恋愛感情を持ったと勘違いしてくれるからさ」
勘違い、という言葉に女はムッとしたような表情を浮かべたが、何も言わず素直に頷いた。
「多分二回目のデートは向こうから誘ってくれるだろうけど、もし無かったとしても、自分から誘ってまたこれを飲ませなさい。3回デートしてそのたびにこれを飲ませればそれで完了。相手はあなたにベタ惚れだ。めでたしめでたし」
茶化すように言うと、博士はソファから立ち上がった。
「じゃあそういうことだから。他に分からないことがあったらそこの瑤子クンに聞いといて」
そう言い残してさっさと部屋を出て行ってしまう。きっと途中になっている発明が気になって仕方がないのだろう。部屋に残された女二人は、汚い白衣を着た彼の細長い背中を見送った。
「とのことですけど、なにかご質問などありますか?」
そう尋ねると、女は心配そうな顔で口を開いた。
「本当にこれで効果があるんでしょうか」
「まあ、大体の方は3回目のデートでお付き合いされていますね。統計をまとめた資料もありますから、お渡ししましょうか?」
「いえ、それは大丈夫です」
彼女は自信なさそうに呟いた。
「まず最初のデートに誘うことすらできないんですが…」
「それが難しかったら、飲み会か何かで飲ませてその後ずっと隣にいるとかしておけば大丈夫ですよ。要はあなたと一緒にいるとドキドキするのだと錯覚させてしまえばいいので」
瑤子がそう答えると、女はどこか不服そうな顔をしていたが、鞄から財布を取り出した。
「おいくらですか?」
彼女から金を受け取って送り出すと、瑤子は事務作業に戻った。

「瑤子クン、コーヒー入れてくれない?」
ひと段落着いたらしい博士が実験室から事務室へ出てきた。瑤子は立ち上がり、やかんにお湯を沸かし始める。電気ケトルを置いておきたいのだが、それよりも性能の良い湯沸かし器を作るからと博士が言うので購入は保留になっている。そんなことを言ったことすら忘れている可能性が高いけれど。
「実験は順調ですか?」
「ああ」
博士は満足げに頷いた。
「二つの物質の間に生じる摩擦を瞬時に測定する機械。来月中には出来上がるだろう」
「そうしたら、売り込む企業をピックアップしておきますね。時間のある時に目を通してください」
博士はひらひらと手を横に振った。
「いいよ、全部瑤子クンが決めてくれればそれに任せるから」
丁度その時やかんがシューシューと音を立てて暴れ始めたので、瑤子はくるりと背を向けてコンロの火を止めた。
「そう言ってどんどん私の仕事増やすんですから。お給料、あげてくださいよ」
そういいながら頭の中では既にいくつかの企業に目星をつけ始める。とりあえずはメーカー系だろう。家具メーカーなどはどうだろうか。
「君ね、あんまり生意気言うとクビにするぞ」
上機嫌な博士の声が答える。まるで宇宙人か何かだと思われてしまう彼だが、機嫌のよいときはこうして普通の冗談だって言うことができる。
「構いませんよ。ここより条件のいい職場なんて、沢山ありますから」
コーヒーを入れたマグカップを博士の前に置く。
「正直、この職場は仕事の量にお給料が全然見合っていないです」
「じゃあ、なぜ君はここを辞めないのだ?」
「そんなの、」
思わず瑤子は言葉に詰まる。
「そんなの、私がいなくなったら、博士が何もできなくなるからでしょう。優しさですよ、優しさ」
ふうん、と博士は興味なさげに頷くとコーヒーに口をつけた。
「優しさねえ。他人が優しくなる薬でも作ってみようか」
惚れ薬よりもよっぽど実用的だ、とつぶやく博士に瑤子はもはや何も言う気にはなれなかった。

 「そうですか、おめでとうございます」
例の惚れ薬を使って意中の男性と付き合うことができたという目の前の女性は、浮かない顔をしている。けれど瑤子は驚かなかった。こういう『事例』は嫌というほど見てきている。
「うちの研究所の製品がお役に立てて、光栄です」
試しに水を向けると、彼女は思い切ったように口を開いた。
「そのことなんですけど、あの薬、もう少し売ってもらえないでしょうか」
瑤子はわざととぼけた顔をする。
「前回3回分お売りしましたよね?それにもうお付き合いされたということであれば、効き目は十分だと思いますが」
「はい。でも…」
女はうつむいてぼそぼそと続けた。
「やっぱり不安なんです。薬がなかったら、まだ好きだって思ってもらえないかもしれない」
分かるでしょう?と縋るように言われ、曖昧に頷く。
「せめてあと2,3回、それでいいんです。あとそれくらい薬を使えれば、きっと大丈夫だと思うんです」
何を根拠に、と思ったがそんなことはおくびにも出さず瑤子は声を潜めて言った。
「分かりました。あと3回分お売りします。他の方には言わないでくださいね。特別、ですよ」
彼女はほっとしたように頷いた。
「ありがとうございます。きっと、これで最後にしますから」
きっとその言葉は嘘になると知っていたけれど、瑤子は笑顔で代金を受け取った。

 瑤子の予想通り、その女はそれから何度も研究所にやってきては、これで最後にするから、と惚れ薬を購入していった。そのたびに瑤子は一度は渋って見せながら、結局は相手の言うとおりに薬を販売する。回数を重ねるごとに表情が憔悴していくのを、冷静に観察しながら。
 ある日やって来た彼女を見て、今日で最後だな、と瑤子は感じ取った。案の定彼女の要望は、いつもとは正反対のものだった。
「人を嫌いになる薬が、欲しいんです」
落ちくぼんだ眼でやけにじっと瑤子を見つめながら彼女は言った。
「もう、辛いの。彼がどんなに好きだと言ってくれても、これは嘘なんだ、薬の効果が出てるだけなんだって。薬がなくなったらあっという間に見向きもされなくなるんだって」
だから、もういっそ嫌われたい。まるで悲劇のヒロインかのように彼女は呟いた。
「自分から別れるなんてできないもの。彼に嫌われたら、諦められる気がするから」
「もうお薬なしでも、彼の気持ちは貴女にあると思いますけど?」
無駄だと分かっていながら、瑤子は一応言ってみる。
「そうですよね。分かっているんです。ここのお薬が不良品だとか、そういうことじゃないんです。全部私の気持ちの問題だって、頭では分かっているんです」
でも、もう心が耐えられない。そう言ってとうとう彼女はハンカチを片手においおいと泣き出した。
 馬鹿みたい、と瑤子は思う。所謂頭と心は別、というやつなのだろうか。気持ちだって心理だって、結局脳みそが作り出しているものなのに。脳神経の電気信号と分泌物。そこまで考えて自分にうんざりとした。これじゃあ、まるで博士みたい。
 瑤子は倉庫の奥に保管してある薬をもって事務室に戻る。
「はい、これが人を嫌いになる薬です。一度彼に飲ませてください。それで効果が出ますから」
1度ですよ、と念を押した皮肉にも気が付かず、女はカバンの中から財布を取り出す。
「おいくらですか?」
「お代はいりません。こんなことになってしまったし」
今まで散々払ってくれたしねと心の中で舌を出しながら、沈痛な表情を作ってみせる。そんな瑤子の内心にも気が付かず、女は感謝しながら帰っていった。
 きっと彼女は次の恋の時もやって来る。今度こそと思いながら、結局は自分の弱さに負けて、同じような過ちを繰り返す。彼女だけでない、みんな、みんなそう。
 まったく有り難いことだ。彼女たちのような客のおかげで、研究所の経営は成り立っているのだから。
「あれ、今客が来ていた?」
実験室から博士が顔を出す。
「いいえ?それより、なにか御用ですか?」
瑤子は振り返ってにっこりと笑う。
「新しい発明品を考え付いた」
博士は興奮したように言う。感情なんて脳のシグナル、と言い切るくせに、だからこそ子供みたいに残酷で純粋な人。いつだって汚れた白衣とくすんだ眼鏡をしているくせに、眩しくて目が離せない。この輝きを見つめていられるならなんだってできる、と遥子は思う。
「そうですか。早速着手してください」
優秀な部下として瑤子はそう返す。
「予算なら沢山ありますからね」



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