帰ろうアイスが溶けちゃう前に | better than better

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彼は、私の死んだママのことが忘れられない。
一方通行の片思いたち


素人小説です

 店内に入った私をちらりと見て、和樹は何事もなかったようにレジに視線を戻した。ぴ、ぴという音の後に、会計を促す投げやりな声。私だってそんなことには慣れっこだから、気にせずに缶チューハイを片手にレジに並んだ。ふと思いついて、目に入ったシャボン玉も取って一緒にレジに出す。
「・・・ご年齢確認をおねがいしまーす」
よくご存じのくせに馬鹿みたい、と思いつつ20代のボタンを押す。
「裏にいるから」
決定事項として告げると、和樹は嫌そうに溜息をついた。
 コンビニを出て裏手に回ると従業員が出入りするドアがある。誰かが置いて行ったままの灰皿の横に腰かけて缶をぷしゅりと開けた。顎をそらしてそれを飲むと、舌を刺す炭酸と喉の奥を冷やすレモンの香りが、私の中を走り抜ける。缶を傍らの地面に置いて、袋の中からシャボン玉を取り出して開けてみる。シャボン玉液に浸して吹こうと息を飲み込んだ瞬間に背後のドアが開いて、息が中途半端に漏れた。下手くそなそれではもちろんシャボン玉などできるはずはなくて、張った膜だけがぴしゃりと壊れた。
「いい年して、なにやってんだよ」
振り返るとコンビニの制服のままの和樹があきれたような表情を浮かべて立っていた。
「和樹のせいで、上手くできなかったじゃない」
「ガキかよ」
よっこらしょ、と私の隣に腰を下ろして彼は煙草に火をつけた。
「煙草よりシャボン玉のほうがよっぽど健康的だもの」
そう言い返しながら、今度は慎重に息を吹く。パラパラと小さな球たちが重なってぶつかりながら、夜風に乗って暗い闇に消えた。
「今度はなんの喧嘩したの?」
和樹の質問に答えずにもう一吹き。小さなシャボン玉が一つ出来ただけで、あとは地面に液がこぼれる。
「喧嘩、ていうわけじゃないんだけど」
「どうせまた麻由が勝手に怒って出てきただけなんだろ」
「別に、怒ってるわけじゃない」
和樹は心底面倒くさそうに溜息をついた。
「周一と気まずくなるたびにバイト先来るのやめろよ。店長、お前が来ると気使って休憩時間ずらしてくれてるんだから」
「別に、休憩時間までここで待ってるからいいのに」
「そんなわけにいかないだろ。この辺結構治安悪いんだから」
旗色が悪くなってきたので、誤魔化すようにもう一回シャボン玉を吹く。今度はゆっくりと慎重に、大きいのが一つできるように。
「で、なにがあったんだよ」
「・・・なんでもないの」
そう、なんでもない。なんでもない日々を送り続けることが、時々無性に虚しくて寂しくなってしまうだけ。
 私と和樹と周一は中学生のころからの幼馴染だ。高校生のころまではよく3人で遊ぶこともあったけれど、大学に進んだ周一と短大に進んだ私、そしてフリーターになった和樹ではなかなか昔のように一緒にいることはできなくなっていた。特に私と周一が付き合い始めてからは、和樹との距離は開いていってしまう一方だ。
「そんなにしんどいなら、もう同棲なんかやめちまえよ」
誰のでもない灰皿に煙草を押し付けながら、隣の男はいらいらしたように言った。
「そうしたほうが、いいのかな」
弱気になって呟くと、彼は知らねえよ、と乱暴につぶやいた。
 お互い社会人になって、特に周一は新入社員として新しい環境に慣れたばかりで、今までのようにお互いのことだけ考えていればいい時間は格段に減った。それは当たり前のことで、いつまでも付き合いたてのようにいかないことも分かっている。だから不満を言うこともできなくて、こうしてもう一人の幼馴染のところへ逃げ込んでいるのだ。
「今日ね、鶏のクリーム煮作ったの」
ぽつりと言うと、周一の好きなやつだな、と返される。
「喜んでくれるかな、とか一応いろいろ考えて作っているわけですよ。こちらとしては」
でも、今日の昼に食べたんだって。思わず吐き棄てるような言い方になる。
「タイミング悪いな、て言うのよ、あいつ」
「それで怒って出てきたのか」
「怒ってないよ。周一がお風呂入ってる間にこっそり出てきちゃった」
和樹はまた溜息をついた。
「またあいつ心配するだろ」
「しないよ、私の心配なんて」
捻くれ者だな、と呆れた声が返ってくる。
  煙草の煙とシャボン玉が絡み合いながら昇っていくのを、しばらく2人で黙って眺めていた。
「でも、いいや。和樹に聞いてもらったから、ちょっと収まった」
和樹は苦しそうに笑った。
「ずるいよな、お前も」
「なにが?」
すっとぼけてみせる。
「なんでもないよ」
和樹は短くなった煙草を最後灰皿に押し付けて立ち上がる。
「ちょっと待ってな」
店の中に消える彼の背中を見送る。本当に私はずるいと思う。彼の好意を知っていて、だから拒絶されないと分かっていて、その無償の好意をこうやって確認しては心の平静を保っているのだから。
「ほら、これ」
ビニール袋を提げた彼が再び出てくる。手渡されたそれを覗くと、私の好きなチョコレートアイスと、周一の好きなモナカアイスが入っていた。
「これ買いに行ってたって言えよ」
「…ありがと」
「溶ける前に早く帰れよ」
私は黙って頷く。
「じゃあな、気をつけて。周一によろしく」

  ビニール袋を揺らしながら歩く。和樹が選んだ、私たちの好物。こんなにも近しいのに、どうして私たちはずっと一緒にいられなかったのだろう。
  涼しくなり始めた秋の夜道を、アイスが溶けないうちに家路を急ぐ。私が選んだ、選んでしまった人の元へ帰るために。


この作品で日本ぶろぐ村第20回自作小説トーナメントに参加しています。
最初途中で投稿されていました。申し訳ありません