はやとのブログ -86ページ目

長い夜

先ほどようやく電気 キタ━━━━(°Д°)━━━━!!!!

やっと人間らしい生活を送れるかもしれないはやとです。

ガスと水道は微妙ですが・・・


さてさて

本来であれば自粛したいところですが、自分の記録として残しておきたいので当日の状況をメモっておきます。



3月11日 14:46 となっています・・・

オイラのケータイの緊急地震速報


その日は午後から応接室で打ち合わせをしていました。


ガタガタガタッ


と縦揺れが始まったと思ったら

未だに聞きたくない緊急地震速報の着信音


その瞬間


今まで経験したことの無い横揺れ


昔日本海中部地震を経験したが、それ以上の揺れだったような気がする


しかも揺れが止まらない・・・




館内ではあちこちで悲鳴が!


応接室から玄関入り口のフロアに出たオイラは
外に数名の社員が・・・


自動ドアが割れないか心配だったが、外の社員が心配で外に飛び出しました。


今思えばこの時点で電気は止まっていたような気がする


上からモノが落ちてこないか上を見てろ~


と秋田弁で言ったと思うので通じたかどうかはわかりませんが

とにかく電柱はありえないくらい揺れて建物も倒壊するのではないか

ってくらい土煙を上げて揺れていました!!


やっと揺れが収まったところで中から社員が出てきた

建物が持たないかもしれないから早く外に出ろ~

全員居るか確認したところ全然足りません


2階から4階にまだ取り残されている仲間が居る!!

オイラともう2人が再度中に突入し、オイラは2階へ

足の踏み場がない状況でしたがとりあえず全員無事っぽい


早く外に出ろ!!


2階は全員外に出たが3階4階はわからない


再度外で確認すると全員居ることがわかった。


誰かが「10mを超す大津波警報が出ている」


マジかよ!!


とりあえず高いところに逃げるぞ~


多賀城市役所の方に逃げるぞ!!

動かせる車はすべて出動だ!! とにかく乗れ~!!


こんな時に必ず居ます
「ココまで来ることは無いんじゃね?」とか言うヒト


一瞬オイラもそう思いましたが
「空振りしてもいいからまず逃げるべ」



オイラの車も出動


ところが・・・

「多賀城市役所ってドコ?」

多賀城市内はまったくわからない(゚Д゚;)


一緒に乗った仲間から案内されて走りましたが道路は大渋滞


津波到達予想時間まであと5分!!

やっとの思いで市役所へ到着しました。

他の仲間が来ない・・・

大丈夫なんだろうか

うまく逃げ切ったことを祈るしかない

市役所の最上階で様子を見ていると、遠くに見える大きな送電線の鉄塔が斜めっている

その鉄塔が小刻みに揺れだした!!

アレって津波のせい?

多賀城駅前の砂押川の水位は堤防ギリギリまで上昇

決壊したらヤバいかも・・・


この時点でメールや電話はまったく繋がらない状態


他の仲間は生きているのかどうかさえわからない

完全に分断されてしまいました。


ある程度落ち着いたところで他の仲間が近くの文化センターや東北学院大学へ逃げているのがわかり一安心

その仲間たちと合流したものの数名足りない!!

無事を祈るしかない・・・


その後多賀城市役所と文化センターで一晩過ごし

明るくなってから行動しようということになったが、家に居る家族が無事か確認したいという仲間が居たので、道路状況を聞いてみると国道45号線は冠水しているとのこと

オイラの車で裏から周り一度オイラのマンションへ行ってみることにしました。

買ったばかりのテレビやPCモニターは全滅なんだろうな~

そう思いながら部屋を空けると・・・


なぜか朝出た時のまま

???

テーブルの上のモノもそのままです

一緒に行った副部長も「何?このマンション凄くね?」


オイラもビックリしました。


後から他の住人に聞いたところ他の部屋でも同じ状況で

このマンション凄いかも・・・

と言ってました。


少しだけあった食料と水を持ち、一緒に行った副部長のマンションに行くと


タンスは倒れて冷蔵庫や電子レンジも倒れてガラスは散乱しています。

足の踏み場もありません。


構造の違いでこんなに違うのだろうか



それなりに整理し副部長の奥さんの無事も確認できたので、再度避難所へ戻り仲間と一晩過ごしました。



その後オイラは秋田へと走ったわけです。





さて


オイラは行けませんでしたが


今日その多賀城市にある会社へ状況を見に行ったようですが


その方が自分の車を見つけたようです



買って3ヶ月の車が
$はやとのブログ


ありえないトコまで流されたようです(゚д゚)!



あの時もう少し躊躇っていたら・・・・
ココまで来るハズがないって思ってたら・・・

今のオイラは無かったかも知れません


今日になって行方がわからなかった社員が続々と連絡がありました。
停電でケータイを充電する術が無く連絡できなかったようです。

未だに行方がわからない方の無事を祈っております。

仲間の待つ仙台へ

震災の翌朝
あまりにも物資が少ないのとライフラインの復旧に時間がかかりそうだったので
一か八かの賭けに出てみました。

どうにかして能代まで帰れないものか?

避難所で一緒に一晩過ごした仲間たちに

「みんなを置いて行くみたいな感じになるけど、必ず戻ってくるから待っててくれ!」

と言って
宮城県の鳴子から秋田県の湯沢に抜ける山道ルートを目指します。

幸い渋滞もなく全ての信号が止まっていたのでそれなりの交差点は注意が必要でしたが、無事に秋田県に入りましたあせる

秋田県に入ってすぐの道の駅に寄ると営業してます♪

が…
財布には1000円しか入ってない(T_T)

金曜の夕方
能代に帰る前にコンビニで下ろす予定だったのに…
停電でどこも下ろせない

タバコもあと数本しかないあせる

どうやって有効に使おうか考えながら店内に入ると

無料でお茶とお菓子を提供していました
他の人はどう思ったかわかりませんが

震災からおにぎり1個しか食べていないオイラにとっては涙が出る位ありがたかった。

そして
昨日はとにかく朝から前職場の秋田支社で補給物資を調達しまくって

会社のインバーター発電機2機
水250リッター
オイラと友人で米60キロ
塩や味噌など
ありとあらゆるモノをかき集めて

今朝秋田を出発
出発時にはTAROさんとも合流し
TAROさんからも援助品を頂きました。

超安全運転で本社に着くと
まるで何かの映画でみたことがあるような盛大な歓迎を受けました。

その後
仲間の待っている避難所へ行き
お茶や水など3リッターほど
おにぎりや缶詰めやお菓子などを渡すと泣きながら喜んでくれました。

話を聞くと
今居る多賀城市の避難所は16日までしか受け入れてもらえないらしく
その後は別の避難所に移らなければならないらしい…

津波で車も住む所も失った仲間は一旦県外の実家に帰りたいとのことでした。

彼らは帰りたいけど金も無いと言ってたのでTAROさんから頂いたお金を渡し避難所を後にしました。

TAROさんエロエロとありがとうございました。
有効に使わせて頂きました。


しかし…
震災から3日
未だにオイラのマンションはライフラインが死んでます。

街はガソリンを求めている車で大渋滞

仙台市内でもこれほど物資が足りないとなれば
沿岸部はもっと足りないでしょうね

何とかなるのでしょうか。

地震

ご心配をおかけしましたm( __ __ )m

たくさんの方からメールや電話を頂いて感謝感激しております。


ちなみに神様からの連絡は一番最後で
そっちで大きな地震あったらしいね~
大丈夫?

全く緊張感のないメールでした…


詳細は後日UPしますが
被災地は圧倒的に物資不足です!
食料や水
あとガソリン

コンビニは停電のため手動で営業していますが
物流が止まっているので在庫限りです!

ガソリンも一人20リッター制限だったり
これも在庫限りあせる

とにかく物資不足は明らかです!

ちなみに昨晩はオニギリ1個とコップ1杯のお湯でした…

2~3日は冷蔵庫にあるもので凌げる可能性はありますが
その後は厳しいかも

かなりシャレにならない状況です

ケータイが繋がりやすくなったので投稿してみました。