ブログを整理していたら、
2013年6月25日に書いた記事が下書きのままになっていました。


なんとなく削除する気がしないので、
当時の書きかけのままここにアップします。




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「泣けるようになることは」
    2013-06-25 09:10:53


あまりに現実が過酷なときは、
泣くどころじゃない。
泣くなんて思いつきもしない。


何とか
1秒1秒を生きていくだけ。


こわい
悲しい
何で私が?

そんな感情は
自動的にフリーズする。


爆発的なエネルギーを集めて
緊急事態を乗り切り、
命をつないでいくために
人間だれでも
そうなっているらしい。


でも
緊急事態を過ぎて
穏やかな毎日が戻ってきても、
気持ちがついていかないことって
あるんだよね。


もうあのことは
終わったはずなのに

体も健康なはずなのに

いろんなことを
やらなきゃいけない、
動き出さなきゃいけない
ってわかっているはずなのに、
ちっとも体が動かない。

そして
動けない自分を責めてしまう。


それって
ホントにしんどいこと。





iPhoneからの投稿




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タイトルの「泣けるようになること」にたどり着く前に
いつのまにか通り過ぎてしまったらしい。


震災からまだ2年、あのときの私は続きになにを書きたかったのかなぁ。



今いるカフェの隣の席では、
地元の人たちがまるで昨日のことのように津波のことを話し続けている。



わたしもみんなも、なにも終わっていないんだな。


でもそれは自然なことだし、それでいい。


過去も未来も今このときも、混じりあい交差しあって日々を彩る糸になる。