こんにちは。お元気ですか?


またまたうっとうしい、重たい日が近づいてきましたね。


わたしは毎年この時期になると、すごく気持ちが落ち込みます。



あたりを切り裂くような冷たい空気や
泣きたくなるような重たいくもり空、

いったいいつになったら春がくるのだ!
と思わずにはいられないほどしつこく降る雪やらに

あの日の気配をキャッチすると、

体じゅうの細胞という細胞がいっせいにざわめき立てるのです。



「もう大丈夫」

「とっくにのりこえたもの」


そう思っていたはずのわたしの頭脳をかるがるとうらぎって。



あぶない!


用心しろ!


またあれがおこるかもしれないぞ。



それが本能にそなわった防衛機能だとわかっていても
わたしの細胞はざわめき立つことをやめず…
いえ、やめるすべを知らないのです。


あーもういいかげん、うんざりしちゃう!





ある人は

「時間が解決してくれるはず」

といい


またある人は

「終わったことを、いつまで気にしているの?」

と無邪気にたずねたりして

この
全身が総毛立つような気味のわるいざわざわを
なんとかして
なきものにしようとしてくれたりします。



でもわたしたちはロボットじゃない。



血がながれ息がかけめぐり

痛烈ないたみの前にはブルブル震えてかたまってしまうような

生きたハートを持ちあわせた人間なんだ。










だからお願いです。


だれがどんなにあなたの感じているものを否定しようと
あなただけは、

なかったことにしないでください。


あなただけは、
今ある気持ちを消してしまおうだなんて、思わないでください。


感じることは、
わざわざ痛みの泥沼にはまりこんで
みずからヘドロをのみこむことではないのです。



それは


たった数年ではとうてい流しきることのできない涙が

どうにもあらわしようのない悲しみが

だれをも恨むことのできない窒息しそうな苦しみがマグマの怒りが


わたしの中にはあるのだと わかっていること


あってもいいと 自分にゆすること



ゆるされたいたみは
大河の一部になって いつか流れていく日がくるのだということを


心のかたすみにそっとおいておくということ。





もしかしたらそれだけであなたは、

気分が重くて体が動かなくて
なんにもやる気にならない自分をせめる必要などないのだと
気がつくかもしれないし、


何でもないときに涙がこぼれ、
「ほかの人たち」と同じようにふるまえない自分を

しかりつけたり
けなしたりしなくたっていいんだと霧がはれたように納得して

もうこの荷物をおろそう、
そうきめる日がくるかもしれない。










②へつづく