2月22日、私たちは農場ボランティアチームと離れ、
富岡町を始めとした立ち入り制限区域などの視察に向かいました。

天気に恵まれ、今回も観葉亭遠藤社長の案内のもと広野町公民館を出発しました。


 

人もなく音もない。

建物と畑跡の場所に生える雑草が悠然としている中、所々にあるフレコンバックや仮置き場のために部分的に整備された土地に違和感を感じました。

そんな町をマイクロバスは走っていく・・・


 

楢葉町から富岡町に入ると集会所に立ち寄り防護服が配られ原発に近いということを感じました。



再びバスが走り出すとまもなく常磐線の線路を通過したのですが3年間手付かずの線路は雑草に覆い隠されほとんど見えません。その線路の延長線上に見える福島第二原発との絵がこの3年という日々を象徴的に現しているようでした。



徐々に津波被害の大きい地域に近くなると瓦礫は片付けられつつあるが壊れた建物本体はそのまま。平屋が流されているかと思えばそれは二階部分が流されたものでした。

そしてあの日のままの富岡駅へ行き駅前にある慰霊碑に黙祷。




その後1台のスクラップ状態のパトカーの前で止まりました。

このパトカーに乗っていた警察官は津波警報の恐怖の中、勇敢に避難誘導を行い殉職されたそうです。パトカーには仲間からのメッセージが残されていました。



次は旅館『観葉亭』へ。観葉亭は高台にあり手前に見える崖はビルの7階8階にもなろうかという高さです。ここを津波が乗り越えたという事実に驚愕するばかりでした。

遠藤社長からは観葉亭の震災当時の生々しい状況や家族と再会するまでの決死の想いを聴かせていただきました。



被災地で震災の傷跡が生々しく残されている地域はもうこの地域だけかもしれません。絆ジャパンでは3月も視察バスツアーを行います。どうかもう一度聴いて見て感じていただきそれを多くの人に伝えていってほしいと思います。

 

ロッチ