朗読用物語1.『四月一日と三日月の花』 | enjoy Clover

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朗読用物語1.『四月一日と三日月の花』



 いつもケンカの原因はだいたい僕にあるのだが、今回はまるで身に覚えがない。かといって犯人は彼女でもなさそうだ。彼女が怒って家を出て行った後、朝食のバナナを食べながら、僕は今朝になって突然消えた鉢花の行方を考えていた。彼女がプレゼントしてくれた鉢花の世話は、確かに最初は面倒だった。だが毎日の水やりにも慣れ、最近は愛情を持って育ててきたつもりだ。それを突然捨ててしまうなんてことをするはずがない。僕の説明を理解してくれることなく出て行った彼女に少しイラつきながら、僕はバナナを食べ終えた。


 せっかくの休日に朝から気分を悪くした僕は、気分転換に外に出かけることにした。今日は彼女と一緒では絶対に観ないような映画でも観に行こうか。それとも本屋で文庫本でも買って、一日かけてゆっくり読んでみようかな。彼女の怒った顔はまだ忘れられないが、久しぶりに一人で過ごせる時間に少しワクワクしながら外に出かけた。


「あの、ちょっとすみません。」


 家から数分歩いたところで、女性から声をかけられた。彼女以外の女性と話すことがほとんどない僕は、思わず緊張した。


「突然ですみませんが、もしよろしければ、今日一日私とデートしてくれませんか?」


 大人しそうな見た目の割には、いきなり大胆なことを言う変な女だ。これが噂に聞くデート商法というやつなのだろうか。普段ならこんな怪しい話は絶対に聞かない僕だが、今日はなぜか好奇心に負けてしまった。今朝怒って出て行った彼女へのあてつけに、一日だけ浮気をしてみるのも面白い。今日はいつもなら絶対にやらないことをやってみよう。女性の名前は、「花が咲く」の咲くの字で、咲といった。




 咲と過ごす一日は楽しく、いつの間にか月の見える時間になっていた。今のところ咲から何かを売りつけたり、何かに勧誘したりする様子は全く見えない。ただ純粋にデートを楽しんでいるようだった。僕にとっても、少し世間知らずな咲と過ごす時間はとても新鮮で、不思議と彼女への罪悪感も忘れていた。浮気はこうして不倫に発展するのかもしれない。そう思うと、僕は途端に彼女への罪悪感を思い出した。


「今日はエイプリルフールと三日月が重なる日だから、月が願い事を聞いてくれたんですよ。」


 少し気持ちが焦りだした僕に向かって、咲は急にそう言った。


「願い事って、何が叶ったの?」


 彼女への罪悪感が大きくなった僕は、なるべく会話が早く終わる質問を選んだ。


「でも、ケンカの原因を作っちゃって悪かったですね。」


 咲は僕の質問には答えずにそう言った。咲には彼女のことや今朝のケンカのことも話していたので、きっと何かの冗談だろう。


「でも、こうしてあなたと話をしてみたかったの。いつもあなたたちのこと見ていて、楽しそうな人たちだと思っていたから。」


 ストーカー、という言葉が一瞬頭に浮かんだが、咲の顔を見ていると不思議とそういった嫌悪感は湧いてこなかった。


「君は前から僕のことを知っていたのかい?」


「第一印象はあんまり良くなかったですけどね。でも最近は、ちゃんと愛情を持って私に水をくれているし。」


 その言葉で、僕は咲が言おうとしている冗談を理解した。今日はエイプリルフールだ。彼女の冗談に乗ってみるのも悪くない。


「君が鉢から抜け出したせいで、彼女が怒って出て行ってしまったじゃないか。いったいどうしてくれるんだ?」


 普段ならこんな冗談に乗らない僕も、なぜか咲にだと恥ずかしげもなくこんなことを言えてしまう。


 「あなたたちなら大丈夫。どうせ仲直りするんだから。いつもそうでしょ?」


 まるで分かりきったことのようにそう言った咲の言葉には、なぜか妙な説得力があった。


「明日の朝にはちゃんと戻るから安心してください。今日はどうもありがとう。」


 咲は自分の言いたいことを言い終えると、一人で歩いて行ってしまった。僕はなぜか咲を呼び止める気も追いかける気もしなかった。




 一夜明けても、彼女からの連絡はまだ何もなかった。彼女はまだ怒っているのだろうか。それとも僕のように、ただ仲直りのきっかけがつかめないだけなのだろうか。ケンカの原因になった鉢花は、今朝起きたら元の場所に戻っていた。ケンカの原因が戻ってきても、彼女に理解してもらえる説明は考えつかない。それどころか、正直に僕の考えを話すと、昨日の浮気まで話すことになってしまう。そうすると、きっとまた別のケンカが始まるだろう。


「どうせ仲直りするんだから」


 咲の言葉を、ふと思い出す。


「いっそエイプリルフールの嘘だったということにしようかな。」


 幼稚なアイディアしか思い浮かばない自分に苦笑いしながら、朝食のバナナを手にとった。このバナナを食べ終えたら、彼女に電話してみよう。テーブルの上には、まだ3本のバナナが残っていた。


(完)

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