朗読用物語2.『ある作家の苦悩』 | enjoy Clover

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朗読用物語2.『ある作家の苦悩』


  ここ最近、作家として物語を書くということに悩み始めた。編集から依頼された次の作品のテーマは、「読むとやる気の出る物語」。これまで、そういった物語はいくつか書いてきたつもりだ。小心者の少年が童話の世界を旅する冒険物、バツイチ平社員のサラリーマンが潰れかけた会社を立て直すビジネス物、お人好しの野球少年が不良と一緒に甲子園を目指すスポーツ物…。どの作品もそれなりに評価されて、中には映画化された作品もある。きっと次に書く物語も、ある程度世間で話題になる作品が書けるだろう。しかし、私が書いた「読むとやる気の出る物語」が、本当に誰かの行動に―言い換えるとすれば、本当に誰かの「始動」に繋がるのだろうか。


  確かに、物語の中の人物に自分を重ね合わせて感情移入することで、自分も何かを成し遂げた気持ちになることがある。その感情経験を通して元気が出たり、やる気が出たりすることもあるだろう。私も自分自身がそういった感情経験をしてきたからこそ、この作家という道を選んだ。
しかし、物語がフィクションである以上、その主人公は架空の人物であり、そのまわりで起こる出来事ももちろん現実に起こったものではない。架空の世界の中で何か問題を解決したとしても、実際には現実世界では何も変わっていない。物語の主人公にいくら感情移入したとしても、結局それは「他人の物語」なのだ。私がいくら読者のやる気を出させようとしても、結局はそれを読んだ一人一人が自分から動き出さなければ何の意味もない。つまり、それが作家の限界、そして物語の限界なのだ。私は作家としていくつも物語を書いてようやくその事実について考え始めていた。


 本当の「始動」に繋がる物語を書くにはどうすればいいか、語るにはどうすればいいのか。私は本当にそれが分かっているのだろうか。それが分かっている人はここにどれだけいるのだろうか。ここにいるいったい何人の人が本当の意味で今日から「始動」することができるのだろうか。その答えを見つける前に、私はある事実を確認しておかなければならない。その事実には、お前ももう、いや本当は最初から気づいていたはずだ。それとも、まさか本当にまだ、これから「読むとやる気の出る物語」なんてものを書く作家が実在するとでも思っているのか?


 もう気づいているはずなのに、いつまでそこで「他人の物語」を聞いているつもりだ。私の語る空想の物語を聞いているうちは、お前の物語はいつまでも完結しない。それどころかお前の物語は始まることすらないだろう。私は今から、お前の物語を「始動」させるためにできる唯一のことをしよう。お前が自分の物語を「始動」させるために、私はここで空想の物語を語り終えることにする。

(完)

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