朗読用物語12.『手紙』 | enjoy Clover

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朗読用物語12.『手紙』


手紙の代筆で金がもらえるなんて割のいいバイトだと思ったが、世の中そんなに甘くないみたいだ。おそらく男に送るであろうラブレターを代筆した俺の仕事は、この喫茶店で依頼主の女性に手紙を渡して約束の金をもらって終わりのはずだった。なのに俺の目の前には、依頼主の女性だけでなく、なぜかもう一人男性も一緒に座っている。しかも、けっこう強面の、見方によってはヤクザ風の男だ。どうやら俺の代筆した手紙は、この二人にとってトラブルの元になってしまったらしい。そんなこと俺の知ったことではないが、そんなことを言える空気でもなく、俺は目の前のコーヒーを飲むことさえできずにいた。


「お前、いい加減あいつのこと追いかけるのやめろよ。」


 男は怒っているというよりも、少し呆れた様子で言った。今日みたいなことが、これまでにも何度かあったのかもしれない。


「私はもっと秀一のことを見ていたいの!秀一と一緒に生きていきたいの!」


 男に比べて女の方はかなり感情的になっている。それに比例するかのように、男はますます呆れていく。この男が怒りだして喧嘩にならなかったのが俺にとっての救いだった。


「もう諦めろって。お前は俺と一緒に行く運命なんだよ。今更手紙なんて出したって無駄だ。無駄。だいたいお前あいつともう4年も会ってないじゃないか。まさか、お前今まで俺に黙ってあいつに会ったりしてないだろうな?」


 「…そんなこと、できるわけないじゃない。」


 女は下を向いたまま静かに答えた。少しずつ気持ちも落ち着いてきているみたいだ。できればここから先は俺が帰った後でやっていただきたい。場が少しずつ落ち着いてきていることを感じた俺はコーヒーに手を伸ばした。


「そういうわけで、悪いな、兄ちゃん。その手紙はあんたが捨といてくれ。こいつが変なこと頼んで悪かったな。もう帰っていいぞ。」


チャンスだ。俺は急いでコーヒーを飲み干した。ぬるくなったコーヒーがこんなにありがたいなんて思わなかった。この男女がどんな関係か。これからどうなるか。もっと言うと手紙の代筆のバイト代なんかももうどうでもよかった。今は、これ以上トラブルに巻き込まれる前に一刻も早くこの場を去りたかった。


「待って!!」


 女が叫んだ。一瞬無視してその場を去ろうかと考えたが、残念ながら女が話を切り出す方が先だった。


 「会えなくてもいいから、秀一のところに連れて行って。そこで手紙を読ませて。もう、それで最後にするから。」


 なんで俺がそんなこと。ていうか、それは俺が一緒に行く必要があるものなのか?


「しょうがねえな。兄ちゃん。これが最後だ。悪いけどちょっと付き合ってくれや。」


ヒステリックな女に、ヤクザ風の男。この二人を目の前にして、俺にはとても断る勇気はなかった。




3人で、秀一とやらが暮らしている家の近くまでやってきた。秀一の家は絵に描いたように普通で平凡な一軒家だ。


「さっさと手紙を読んで終わりにしようで。ほら。」


男は女に手紙を読むように促すが、女は涙をこらえきれずに泣き出してそれどころじゃない。男は「しょうがねえな」と言って女が手に持っていた手紙をとって俺に渡した。女の涙で濡れたこの手紙を、俺に代わりに読んでくれということなのか。女もコクリと頷いた。


思い返してみれば、手紙の代筆にしては奇妙な依頼だった。手紙の内容は俺が考えるのではなく、すべて女が考えたものだ。しかも、内容はたったの一行。これならわざわざ誰かに頼む必要なんかなかったのに。割のいいバイトだと思って気にもとめなかったが、ちょっと考えたら俺の代筆したラブレターはおかしいことだらけだ。俺はあらためて今の状況とこの二人のことを不審に思ったが、考えても仕方ないので言われた通り手紙を読み始めた。



『秀一へ

世界で一番愛しています。どうか、幸せになって。

洋子・秀夫』



 「洋子…お前、俺の名前も書いたのか。」


 ちょっとした沈黙の後、男が静かに口を開いた。女は涙を流しながら「当たり前でしょ」と答えた。その時…


 「行ってきまーす!」と、学生服を着た男の子が家から出てきた。男の子はそのまま俺達の目の前を走り抜けて行った。俺は驚いて男の子を目で追った。彼の姿が小さくなっていくのと同時に、背中の方から女の嗚咽が聞こえた。俺はそのまま振り返ることができないでいた。


「あいつ、この春から中学生か。」男の声は、どこか優しそうに聞こえる。


「4年見ないうちに、すっかり大きくなったなぁ。あれじゃ俺達が生きてた時に買ってやった服は、もうどれも入らないんだろうな。」男が言い終わらないうちに、女の嗚咽が大きくなっていった。


「なあ、洋子、もう十分だろ?秀一は新しい家族のとこで幸せに暮らしてるよ。俺たちはもういい加減成仏しようぜ。あいつの制服姿が見られただけでも、もう満足だろ?」


「うん。ありがとう。ごめんなさい。ありがとう。」


その言葉と同時に二人の気配が突然消えた。俺が振り返った時には二人の姿はなく、そこにはもう誰もいなかった。


こうして、ちょっと変わった手紙の代筆のバイトは、俺の働き損という形で終わった。きっと、あの二人の想いは秀一に伝わることはないだろう。それでも、きっと秀一はこれから幸せに生きていく。秀一に伝わることはなくても、あの二人の想いはきっと消えることはない。たぶん、永遠に。それは幸せなことなのだろうか?それとも淋しいことなんだろうか?呆然と立ち尽くす俺の手には、まだ少し濡れている手紙が確かに握られていた。

(完)

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