朗読用物語13.『Step by step』(連作「ちょっとずつ」第1話) | enjoy Clover

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朗読用物語13.『Step by step』(連作「ちょっとずつ」第1話)


 中学に上がった時から、英語と体育が苦手だった。それなのにもかかわらず高校で陸上部に入ったのは、中学の頃から密かに片思いしていた子が陸上部に入ったからだ。決して俺自身が走るのが好きだったからじゃない。それなのにその子は夏休みに入る前に早々に部活を辞めてしまった。だからといって「俺も辞めます」なんて先生にも先輩にも言う勇気もなく、俺は惰性で陸上部に残っているだけだ。だから、別に俺は死ぬほど頑張ってまで強くならなくてもいい。そう思うことで少しは楽になる。いや、そう思うことでしか楽になれないくらい自分は心が弱い人間なんだと、本当は心のどこかで分かっている。


 膝にある半月板という骨の故障から3週間。病院のリハビリにもだいぶ慣れてきた。こんなの部活の練習と比べたら屁みたいに楽なものだ。あることを除いては…。


「よし!いいぞ隆史!じゃあ今日のメニューはそれで終わり。じゃあ最後にミーティングだ!」


 俺のリハビリを診てくれている担当の理学療法士の佐伯先生。はっきり言って苦手なタイプだ。佐伯先生はリハビリの最後にミーティングと称していつも5分~10分面談の時間を取ってくれる。熱心でいい先生には違いないのだけれど、なんだか苦手だ。こういうの。


「短距離選手には物足りないメニューかもしれないけど、今はまだ無理しなくていいからな。まだ1年生の夏だし、復帰してからでも十分時間はある。」


 別に焦っているわけではない。が、部活での鬼のようなメニューに慣れているせいか、リハビリは正直言って少し物足りない気はする。


 「隆史は今の自己ベストは何秒なんだ?目標によってはリハビリのメニューを考え直すこともできるぞ。」


 こういうことを聞いてくるから、この先生のことが苦手だ。俺の100mの自己ベストは、12秒86。ほんのちょっとでも陸上に関わった人ならすぐに分かる。はっきり言って、陸上をやっている高校生にしてはかなり遅い方だ。中学生はおろか、女子にも自分より速い奴が山程いるレベル。


「もしかしたら次のシーズンから別の種目に変わるかもしれないんで、今のところ別に目標とかは特にありません。」


なんとか自分の自己ベストを隠したまま誤魔化しながら、心のどこかでモヤモヤしていた。専門種目が変わるかもしれないという話は嘘ではない。ウチの学校では短距離は選手層が厚いため、今のままじゃ引退するまで公式の大会に出られない可能性の方が大きい。顧問の先生からは、選手層の薄い投擲種目を勧められている。佐伯先生は「そうか。ならしばらく今の感じで続けていこう。」と言って今日のミーティングを締めくくった。



 その日は、昔の夢を見た。小学校3年生くらいの時のかけっこで1番でゴールした時の夢を。そいうえば、昔はそんなことがよくあったな。あの頃は、クラスの中では俺は足が速い方だった。隣のクラスとの合同の体育の時間で、隣のクラスで一番速い奴に勝ったこともあった。あの時は、クラスのヒーローみたいだったな。あの瞬間、「今世界で一番カッコいいのは俺かもしれない」なんて思ったもんだ。


 
 「種目を変えるかもしれないっていうのは、最終的に誰が決めるんだ?顧問の先生が決めるのか?それとも自分で決められるのか?」


 次の日のミーティングで佐伯先生が質問してきた。顧問の先生は俺のことを考えて選手層の薄い投擲種目を勧めてくれている。もしかしたら、実際に練習してみたら本当に投擲種目の方が俺に向いているのかもしれない。だけど、少なくともウチの学校では自分の専門種目を決めるのはあくまで本人だ。


 「最終的にどうするかは、自分で決められます。」


 昨日あんな夢を見なければ、「先生が決めます」なんて嘘をついていたかもしれない。「それならしょうがないな」なんて言葉が返ってくるのを期待して。だけど、咄嗟に嘘をつかなかったことで自分の気持ちが分かった。俺は自分で選びたいんだ。投擲ではなく短距離を。佐伯先生から返ってきた言葉は、予想外の言葉だった。


 「隆史、リハビリってどういう意味か知ってるか?」


 え?リハビリ?今やっているこのリハビリのこと?いきなりの質問に驚いていると、佐伯先生は続けた。


「リハビリって言葉はな、元々医学用語じゃないんだ。ヨーロッパでは教会から破門だれた人が社会復帰をする時なんかに使われた言葉らしい。」


俺は佐伯先生が何を言いたいのかよく分からなかった。次の言葉を聞くまでは。


「リハビリっていうのは、本来は『失われた名誉を取り戻す』って意味なんだ。」


 佐伯先生のこういうところが苦手だったはずなのに、心のどこかで少しずつ気持ちが高ぶっている自分もいた。そうだ。思い出した。俺は元々走るのが得意だったじゃないか。周りの奴らと比べるようになって勝手に挫折したつもりになっていたけど、本当はいつも自分に期待していた。心のどこかで信じていた。ヒーローのような自分がいることを。


 「佐伯先生、昨日言ってたように、メニューをもうちょっとキツくしてもらうことってできますか?短距離を続ける場合のメニューで。俺、リハビリ頑張るんで。」


 佐伯先生は嬉しそうに笑いながら「もちろん」と答えた。


 「だけど極端に無理はさせないぞ。ここでやるのはあくまでリハビリのメニューだからな。運動量を増やすのも少しずつだ。少しずつを続けていけばいいんだよ。気持ちさえ前を向いていればな。「Step by step」ってやつだな。」


 「なんで英語で言うんですか?」俺が思わず笑うと、先生も「なんとなくカッコいいだろ?英語で言うと」と笑った。「Step by step」か。あれ?なんか変だぞ。その違和感の正体にはすぐに気がついた。英語が苦手な俺でも分かるレベルだ。


「佐伯先生、「少しずつ」は「Step by step」じゃなくて、「little by little」です。」
 

この人も俺と同じように英語が苦手なのかと思うと、さっきまで苦手だったはずの佐伯先生のことが、なんだか少しだけ身近な存在に思えた。



(完)

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