朗読用物語6.『林檎の種』 | enjoy Clover

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朗読用物語6.『林檎の種』


「もし世界の終わりが明日だとしても私は今日林檎の種をまくだろう。」


  大嫌いな言葉がひとつ増えた。どこかの国の偉い誰かが言った言葉らしい。


「無責任だと思います。」国語の授業中に先生から「この言葉についてどう思いますか?」と聞かれたから、そう答えたら叱られた。先生は僕の感想ではなく何か違う答えを期待していたらしい。


  世界が終わるかもしれないのに、なんで種なんかまくんだろう?そんないつ終わるかも分からない世界の中で、林檎にどうやって生きていけって言うんだろう?もしかしたら「世界の終わり」っていうのは、その人の人生が終わるだけのことなんじゃないのか?もしそうなら、いったい誰が、残された林檎の種を育てるんだろう?


  僕には、両親がいない。僕の2歳の誕生日の前の日に、お父さんの弟である叔父さんに僕を預けたあとで夫婦揃っていなくなったらしい。それ以上のことはよく知らない。僕も何も聞かないし、叔父さんからも何も言わない。いつか近所のおばさんたちが「心中したらしい」と噂をしていたのを聞いたことがあった。その時は僕にはまだ「心中」という言葉の意味が分からずに、辞書で調べて「自殺すること」と知った。おばさんたちの噂は本当かもしれないし、嘘かもしれない。どっちにしても、「心中」の意味を叔父さんに聞かなくてよかった。

  
「いらっしゃい!…おう、健太か。おかえり!」


学校が終わると、僕は叔父さんの店であるこの小さなラーメン屋に帰ってくる。2階にある僕の部屋に行くには店の中を通って行かないといけないが、それが嫌ではなかった。叔父さんのことは好きだし、この店で唯一の従業員である翔平兄ちゃんのことも大好きだった。


「健太ちゃん、お帰り!学校はどうだった?」


「別に、フツーだよ。特に面白いことはなかった。ねえ、お店の方はどうだった?」


「今日も昼飯時は大繁盛だったぞ。今はもう時間的にガラガラだけどな。今日は昼からビールもよく出たし…。あ、そうだ!オヤジ、瓶ビール在庫残り3ケースです!」


そのまま翔平兄ちゃんと叔父さんは仕事に戻っていった。翔平兄ちゃんは、叔父さんのことを「オヤジ」と呼ぶ。僕は、まだ「叔父さん」としか呼んだことがなかった。だって、どんなに僕が叔父さんのことを好きでも、叔父さんは僕のお父さんじゃないから。


「こんにちはー。あら、今日も全然お客さんいないのね。」


近所のアパートに住んでいる涼子おばちゃんだ。涼子おばちゃんは毎日のように店に来てくれる。叔父さんも翔平兄ちゃんも、口では「冷やかしだ」なんて言うが、本当は嬉しそうにしている。涼子おばちゃんはバツイチ、そして叔父さんもバツイチだった。僕がこの2人のことを好きなのは、だからかもしれない。


「健太ちゃんも帰ってたの?ちょうどよかった。さっきそこで林檎買ってきたから切ってあげる。みんなで食べましょ?どうせお昼の営業時間はもうすぐ終わりでしょ?」


涼子おばちゃんはまるで自分の家のように厨房に入っていった。気の強い叔父さんも翔平兄ちゃんも、涼子おばちゃんの図々しさには敵わない。涼子おばちゃんは慣れた手つきで包丁を手に取ると、すぐに林檎を切って持ってきた。叔父さんと翔平兄ちゃんも仕方なく休憩に入る。


「ねえ、もし明日世界が終わっちゃうとしたら、どうする?」

「知らないよ!そんなの…」


涼子おばちゃんの突然の質問に、僕はとっさに大きな声で答えてしまった。なんでよりによって今日そんなことを聞いてくるんだろう。涼子おばちゃんも翔平兄ちゃんも、一瞬驚いた顔で僕を見たのが分かった。叔父さんはどんな顔をしたんだろう。叔父さんの顔は見えなかった。


「なんすか、それ?あ、心理テストかなんか?」


 翔平兄ちゃんが場の空気を和ませるように言った。きっと、僕のことも、涼子おばちゃんのことも、どちらも気遣って言葉を選んだんだろう。


「昨日見たテレビドラマでそんなセリフが出てきたのよ。どこかの誰かは『林檎の木を植える』って言ったらしいわよ。林檎見たら思い出しちゃった。」


 そうか。だからだ。きっと先生も同じドラマを見たんだろう。いかにもあの先生が好きそうな言葉だ。そんなことを思いながら、僕は今、たぶんつまらなさそうな顔をしている。


「明日世界が終わるんだったら、そりゃお前…」


 叔父さんが初めて口を開いた。そうだ。叔父さんは、叔父さんはなんて答えるんだろう?自分の子どもでもない僕を引き取って育てている叔父さんは。


「…あわてるだろう。」


 当たり前の答えだった。そりゃそうだ。世界が終わるんだったら誰だってあわてるに決まってる。そんな当たり前のことが叔父さんの口から聞けて、なぜだか分からないけど僕は嬉しかった。叔父さんの世界は、まだまだ終わりそうにない。そう思った。涼子おばちゃんも叔父さんの答えを聞いて「そりゃそうね。」と笑っている。


「さ、翔平、そろそろ夜営業の準備やるぞ。」


叔父さんは立ち上がって厨房の方へ戻っていく。翔平兄ちゃんが慌てて叔父さんを追いかけようとした時、叔父さんは立ち止まって振り返らずに言った。


「健太!暇ならお前も手伝うか?」

「うん!」
 

さっき涼子おばちゃんと翔平兄ちゃんが驚いた時よりも、もう少し大きな声が出た。涼子おばちゃんも翔平兄ちゃんも、今度は驚かずに嬉しそうな顔で僕を見ているのが分かる。きっと僕は、そんな2人よりももっと嬉しそうな顔をしているだろう。


「オヤジ。」


小さな声で、叔父さんの背中に向かってそう呼んでみた。この店で手伝いをするのなら、当たり前の呼び方だ。そして、息子が父親のことを呼ぶときの呼び方としても。そんな当たり前が嬉しくて、そしてまだ少し照れくさい。叔父さんの顔は見えないが、その背中は、僕と同じように少し照れくさそうに見えた。

(完)

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