天正年間に、小田原北条氏が下野国・宇都宮を攻めた際に、時の当主・宇都宮国綱が籠った山城が、「多気山城」です。

我らが太田資正(この時代の資正は法名「三楽斎」で呼ぶ方が適切かもしれません)も、北条氏の北進を止めるため、二百名の鉄砲隊を率いて宇都宮国綱に加勢しました。

宇都宮氏の本城である宇都宮城とその城下は焼かれたものの、この多気山城は北条氏の攻勢を弾き返し、同氏の関東完全制覇を防ぎました。
この時、太田三楽斎の鉄砲隊も大いに活躍したそうです。
(多気山城の果たした役割は、以前こちらのエントリーでもう少し詳しくまとめました)

いつか行ってみたかった念願のこの城。
別の用事で近くを通りかかったので、車中から写真を撮ってみました。






今日は寄れませんでしたが、いずれ機会を改め、登ってみたいと思います。