髪を切りに行くついでに、久伊豆神社に寄りました。

岩槻城の北の守りである「新正寺曲輪」に位置し、同城下の総鎮守だった神社です。

岩槻市史』によれば、天文十九年に、岩槻城主となって二年目の太田資正が、この神社の修築をしています。

地形を考えれば、神社境内の基本プランは、資正時代と現代でそう変わらないはず。

この神社を歩くときは、資正もここを歩いたことがあったであろうと、空想してしまいます。

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参道入り口


名物の長い参道


参道


建て替えたばかりの新社殿


奥の社。


境内の北端の社。この裏は下り坂
かつては元荒川が流れていました。


社殿前から参道を望む

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おまけ。
神社の前は、東武野田線(アーバンパークライン)の線路。




ちょうど、60000系車両が通りすぎました。