お互いの家族に内緒で出掛けた最初の旅行の行き先は「尾道」。
この町には妻の母方の祖父母が住んでいましたが、お互いの両親にも会っていないこの時点では、まだ、会う訳にはいきません。

「大丈夫。今回はおばあちゃんには会わないよ」という妻の言葉を信じて出掛けたのですが・・・

10年前の妻との思い出。
「富士は裾野」と知った日のこと②』の続きです。


③ 何よりも大切なこと

「やっぱり、私、おばあちゃんに会いたい」

尾道の海沿いの道。
立ち止まった妻のその言葉に、私は危うく食べていたアイスを吹き出しそうになりました。

「ちょっと待って。今回は、会わないって決めたから来たんじゃないか。まだ、親にも会っていないのに。ここでおじいちゃん・おばあちゃんに会う訳には行かないだろ」

「そうだけど、そう約束したけど、」
その時の妻は、“もう決めた”という目をしていました。



妻は、一度こう決めたら絶対に曲げない、引かない人です。
それは一緒に過ごした10年間で、嫌という程思い知らさせた彼女の性格。似たような場面には、その後何度も遭ましたが、思い返せば、あれはその最初の1回目だったのだと思います。

その時の私は、まだ彼女のその性格を十分に知る前。無駄な行為であるとは知らず、「そうだけど」という彼女の二の句を封じようとしました。

「『そうだけど』じゃないって。こういうのは、最初が肝心なんだよ。最初にボタンの掛け違いをしたら、その後でずっと引きずることになる。後々、必ず面倒なことになって、後悔するよ。だから今回はやめよう。事前に決めた通り、親戚には誰にも会わないで終わりにしよう」

私はそう言って妻の目を見ようとしましたが、彼女は目を逸らします。
そして、なぜか私たちが歩いていた海沿いの道の車道の反対側を見つめていました。
少し落ち着いた声で言います。

「それはわかるよ。あなたがいろいろ考えて反対してくれていることは、私もわかる。でも、考えて。」

「何を?」

「おばあちゃんも、おじいちゃんも、もう八十過ぎだよ。まだ、二人で頑張って暮らしてるけど、それがいつまで続くかわからない歳だよ。私たちがいろいろ準備して、お互いの親にも会って、ちゃんと認めてもらってから会うのは、それは、それが一番いいことだけど、だったら、それが全部済んで、私たちがおばあちゃんに会えるのは、いつ? いつなら会えるの?」

私には“痛い”一言でした。
当時私が考えていた“準備プラン”は、年間単位の長期戦。妻の問への正直な答えは「早くて来年」でしたが、私はそれを口にできませんでした。

「そうやって準備をして、きちんと筋を通すことが大切なのはわかるけど、その時、おばあちゃんとおじいちゃんは、まだ健康? 普通に暮らしていて、私の結婚を喜べる状態? そんなのわからないでしょ」

妻は、祖母が自分のことをいつも心配してくれていたことを、話してくれました。

妻は、尾道の祖父母の最初の孫。
プロの漫画家を目指して東京に飛び出したまま、結婚もせずに漫画ばかり書いている孫を、祖母は心配し、なんとかお見合いをさせようとしたこともあったとか。

「私は、おばあちゃんを安心させてあげたい。元気で、目も、頭も、口も、しっかりしている内に。『もう心配しなくて大丈夫だよ』と伝えてあげたいの。筋を通すとか、順番とか、そういうのはは大切だけど、これはもっと大切なことだと思う。何よりも大切なことだと思うの。」

私は何も言えなくなっていました。
筋を通す、順番は守る、ボタンの掛け違いはしない。そうした、自分が気にかけていたことが、妻の言葉の前には、全てちっぽけなことに、思え始めていました。



思い出して改めて気付くことですが、こうした場面でも妻の言葉には力がありました。
それは、彼女の言葉が打算や損得勘定ではなく、「信念」とそれに裏打ちされた「決意」に基づくものだったらなのだと思います。

私は、きっと、難しい顔をしていたのでしょう。
妻は笑いました。

「大丈夫だよ。おばあちゃんは、まだしっかりしてるから、口止めすれば黙っていくれるよ。うちの親には言わないでと約束したら守ってくれるよ。それに、万が一ばれても、うちのお父さんも鬼じゃないよ。ちゃんと話せばわかってくれるし、許してくれるよ。だから、大丈夫。」

完全に妻のペースでしたが、それでも、私は、最後の抵抗を試みました。

「でも俺たち、旅行者だから足が無いよ。おばあちゃんちにどうやって行くの? 駅まで戻ってタクシー拾って、帰りもまたタクシーを呼んで駅に戻るの? まだこれから回る予定のところもあるし、明日は朝から広島入りするスケジュールなんだから、そんな時間は無いんじゃない?」

「それなら、問題ないよ。」
妻はそう言って、道路の反対側を指差しました。
「だって、おばあちゃんち、あそこだから」

そこは、さっきまで、妻がじっと見つめていた場所です。

え・・・
あれ・・・なの?

距離にして20メートルもないくらいの近さにあるその家を見て、 私は自分が考え違いをしていたことを悟りました。
なぜか私は、妻の祖父母の家は、市街地から少し離れたところにあるのだろうと思い込んでいたのです。

「おばあちゃんち、ホント、いい場所にあるよね。駅から近いし、海にも近いし」

そう言いながら、妻はもう道を渡ろうとしていました。

→ 「富士は裾野」と知った日のこと③【後編】へ。

※ スクロールしながら読むには長くなりすぎたので、【前編】【後編】に分割しました。


(尾道、渡船のある風景)
 ※無料写真素材「おのみちや」から

 

<<各章ご案内 (完結後に追記しました)>>

1.はじまりは、一本の電話
日曜日の夜、突然かかってきた電話から物語ははじまります。

2.失敗は坂の街・尾道で
電話の原因は、坂の街・尾道での失敗。

3.何よりも大切なこと 【前編】 【後編】
会わないはずだったその人に、妻は会おうと言いました。

4.銀座の大喧嘩
その人に会ったことが、空前絶後の大喧嘩を引き起こします。

5.激昂と消沈 【前編】 【中編】 【後編】
銀座での大喧嘩の顛末。私は、本当の原因にたどり着きます。

6.「もういい」
空手女子、怒る。

7.“てんぷら”の煮物
それは妻の得意料理でした。

8.裾野へ 【前編】 【後編】
いよいよ、裾野に乗り込みます。

9.デベラと富士山
最初に会った妻の家族は、義母でした。

10.ネクタイと曇り富士
ついに義父との対面へ

11.作戦会議
妻の妹(三女)さんに相談。それは意外な流れに・・・

12.「富士は裾野」と知った日のこと 【前編】 【後編】
そして義父に全てを語ります。

13.代官山で語る富士 【前編】 【中編】 【後編】
立つ瀬なく追い込まれた、妻の妹(次女)さんとのやり取り。
最後に、私自身の父との戦いの結末。