救心(夏井)
今日で最後の更新です。ハナウタ解散文集いかがだったでしょうか。ここ数日の怒涛のブログ更新、ハナウタのことを改めて少しでも知って貰えたらという気持ちと、最後まできちんとしようという思いからはじめた企画でした。皆さんにもハナウタのことを思い出したり、振り返るきっかけになったらいいなあと思います。過去公演すべて書き終えて、色々なことを思い返しながら、ハナウタという団体を改めて客観視してみて、我ながら良い団体だったんだと、ハナウタのことをもっと大好きになりました。何だかんだちゃんと主宰やれてたのかなあ。昨日のバイト終わり、わんわん泣きながら帰りました。今日が来るのが怖くて泣きました。本当の本当に終わってしまうんだと。4月1日からはハナウタの夏井ではなくなるんだなあと。ハナウタは楽しかったし、大好きだけど、ずっと私には大きくて、重くて。やめたくないときなんかなかったし、何もかも辛く思える日もありました。心の中ではいつも他人に助けてほしくてしょうがなくて、正直しんどかったです。それでもいつか必ずこの努力は報われる、報われろ、そう思いながら必死で自分を奮い立たせて、何とかここまでやってきました。長いようで短い道程でした。3年。3年です。8回、作品をお届けしてきました。沢山の方々に見守っていただきました。支えていただきました。ここが頂上とするなら、眺めは最高です。ハナウタを愛した分、ハナウタは愛されて。何にも無駄なことなんかなかったのです。私がその時賭けられるもの全部賭けてやってきたハナウタは、ちゃんと私を救ってくれました。私はハナウタがあったから、きちんと生きられています。少しだけ身の上話をします。私は決して幸せな家庭には育っていなくて、母親に対して常に何か物足りない、満たされない思いを抱えながら、自立を急かされて、19年生きてきました。本当は愛されていたいし、もっと甘えていたかった。でもそれは許されなかったから、私はいつもちゃんとしなきゃ、迷惑をかけないようにしなきゃと日々顔色を伺いながら、自分を切り詰め続けてきました。その結果、演劇を通して、何もかもを吐き出すように、沢山の作品を書いて、つくっていくようになりました。作品にしてしまえば、いつか全部笑い話になってくれるのではないか。そんな祈りのような願いを込めて、つくり続けていました。ハナウタの作品はフィクションでありながら、ノンフィクションでもありました。親の話とか演劇の話とか、丸々私自身の悩みでもありましたし。でも、演劇はやっぱりどこまでも生だと思うので、そういう今の悩みも苦しみも辛さも全部ありのままで伝え続けること、嘘をつかないことを選び続けることこそが夏井の演劇になるんじゃないかなと。せっかく演劇するなら120%夏井の演劇であってほしい。主宰特権、作演出特権、めちゃめちゃ使ってます。今の私を、ハナウタを、作品を通して真っ直ぐに見せ続けることは、公演を終えるごとに少しずつ形になっていった、ハナウタの演劇方針です。「誰かのために、ハナウタを。」と掲げたスローガンは、今になって思えば、きっと私のためにあったのでしょう。わがままではありますが、あわよくばハナウタの作品が誰かのためにもなっているなら、幸いです。団体を背負う身として、一個人として。ハナウタを通して、私は私ときちんと向き合えていたと思います。作品を通してメンバー、お客さん、出演者、スタッフとも、きちんと向き合えていたと思います。この結果が今なのだとしたら、やはり報われたし、救われているのです。だって最高だから!何が正解で何が間違いなのか今となっては分かりませんが、私にとっては全部必然で、正解でした。本当に本当にありがとうございました。こんな私でも信じてついてきてくれて、一緒に作品をつくってくれて、見守ってくれて。沢山の感謝の気持ちでいっぱいです。私は私と関わってくれたすべての人に幸せになってほしいので、これから少しずつ、支えてもらった分、お返ししていけたらいいなあと思います。本当に沢山の方々に支えていただきました。ここには書ききれないほど沢山の方々の力があって、今のハナウタがあります。私が生きています。ハナウタ、立ち上げてよかったです。立ち上げたばっかりの頃の16歳の私は、きっと右も左も分からなくて、ただただ不安で、目の前のことに必死に向き合うしかなくて、突っ走るしかなかったと思うけど、あなたがいたから私は今、胸を張って笑っていられます。ありがとう。ハナウタの全部が私のこれからの糧になっていきます。今までもこれからも、なかったことになんか絶対しません。絶対、忘れたりなんかしません。明日も明後日もずっとずっと。演劇ユニットハナウタ、3年間本当にありがとう。またね。演劇ユニットハナウタ 夏井菜月
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