千駄ヶ谷綺譚 | 野良翻訳家・HanaBananaの Enjoy Life!

雨の週始まりはつらいどすのぉ。
どうも、能年玲奈です。
嘘です。

最近は二階堂ふみが好きです。 オシャレだし、図太そうだからです。
心の中で太山フトコと呼んでいます。
犬山イヌコみたいですね。 犬山イヌコさんも女優さんなんですが、当時確かお付き合いしていると 噂のあったケラリーノサンドロビッチと 、渋谷のムルギーでカレー食べてました。すんごい奥目でした。  


もとい、太山ふと子がTV番組でイギリスにいって お買い物していたんですが、エリザベス女王御用達の 老舗の傘屋さんにいって購入していた、 バードケージという傘、むっさ欲しくなりました。 日本でも売ってますが、これはいつかロンドンに いって。。。    



画像はお借りしました。ありがとう。my pleasure








女王らぶ~。    



話ぽんぽん飛びますが、


   

俺、いっつも冗談で言ってた
「くまの○―さん、半裸で変態」って。 したらさ、Yahooニュースで、 ポーランドのどこかの町で「プーさ○の下半身に何も着用していない半裸は子供に不適切」 と判断されて、子供の遊び場のイメージキャラから 外されるそうですけど、、、

マジでしょうか?
ディ○ニーといえば○ーさん、ディズ○ーといえばアメリカです。
プー○んを使って、 アメリカに喧嘩を売ってるのでしょうか?それとも、市長が俺みたいなやつなのでしょうか?どちらにしても、危険ですね。      



そうそう、健さん、亡くなりましたね。
昭和といえば、健さん。
御年83歳、生まれた時からオジサンだったし、 健さんは健さんでしかない、そんな存在だったので、 亡くなるっても実感がない。。。というか、
映画といえば健さん、とか、 「自分、不器用ですから。。。」って台詞、 昭和中後期生まれの心の中に しっかりとembedded されている方でしたよね~。    



健さんといえば、私が意識する頃には、 とうに娘さんではありませんでしたが、 三人娘の一人、江利チエミさんと ご結婚されていらっしゃいました。    


ちょうど私が中学生から二十歳まで暮らしていた 渋谷区の千駄ヶ谷に、チエミさんの、いわゆる チエミ御殿と呼ばれたご実家ががありました。 詳しいことは知らないけれど、チエミさんと 父親が違うお姉さんに騙されて、いったん手放すまで 追い詰められた家だったそうで。 その後、頑張って多額の負債を払い、買い戻されたそうですが。 それを背景にして、林真理子さんが 悪意について書いていらっしゃるのが「テネシーワルツ」という 作品なんですって。    



ハワイで亡くなった大叔母が 御殿の隣のマンションに住んでいたのですが、 すぐ誰とでもお友達になる人で、ご近所付き合いなどは あまりない住宅地でしたが、その界隈の方々何人かと お友達になり、その中の一人がチエミさんの義理の母上でした。 チエミさんのお父様の後妻さんに入られたのですが とても明るく優しく、太っ腹のおばちゃまで、チエミさんの ご家族を支えていらした印象があり、私もよく お世話になっていたし、おばちゃまの息子さん、 チエミさんの弟さんにあたる方にも アメリカ育ちの大叔母が英語を教えていたり。 大叔母に会いに、ハワイにもよく行ってたそうです。  



御殿の離れには、ご親戚の一家が住んでいて、そこの子供が 同じ中学だったからか、その前からか、よく御殿で遊ばせて もらっていました。 とても堅牢そうな洋館で、その佇まいは、 やはり新建築には出せない歴史を感じさせるものでした。 後から聞いたら、旧公爵邸で、そのあと、おそらく外国人に 占有され(進駐軍かと)、そこを買い取られたらしいです。 ずいぶん前にマンションになっていますが。。。  



その前のマンションに、知床旅情などで知られる オトキさんの姪っ子さんご一家が住んでいて、 姪子さん達と同じ中学で顔見知り。 しょっちゅうオトキさんがいらしたり、 欽ちゃんの家族対抗歌合戦に、その姪子さん達が 出ていたりして、うわーとかね。    



今はアパレルメーカーなどのデザインオフィスが 立ち並ぶ住宅地になりましたが、昔はところどころに そういう古めかしい洋館や、芸能人が住む高級マンション、 外国人専用のアパートメントといわれるレジデンス、 今でいうデザイナーズマンション、かと思えば あきらかに連れ込み宿だろ、とか、銭湯とかもあり、 線路をまたげば明治神宮、歩いていける原宿表参道や 伊勢丹、なんだか不思議な町でしたねぇ。    


コリーを2匹かっているご邸宅があり、 動物好きの大叔母が、    


「へい!ジョージ! ジョンジョンジィー!!」  


と呼ぶと そのコリーちゃんが2匹、大喜びで 柵のところまできてくれるので、私も よくその「ジョージ」というコリーちゃんを呼んで、 柵越しに可愛がっていました。


で、ある日、大叔母が「あっちの方に アフガンを飼っているオウチがある。 ハナ、アフガン知ってるか?」と聞くので 見たことなかったので、見たい見たいと 騒いで連れて行ってもらったら、    


「ヘイ、ジョージ!ジョンジョンジィー!!」    



アフガン犬、しっぽふりふり、へっへっへへと やってくるんですが。。。。    


っつか、そこで大叔母が、日本人が犬を見ると「ポチ」と 呼んでいるのと同様、アメリカと日本がミックス文化で育った彼女、 なんでかしらんが、犬は全部


「ジョージ」


だってことが 判明して、当時珍しかったアフガン犬よりも 大叔母の方が奇異で奇妙な生物だと気付いたのでした。    



まぁ、そんな大叔母ですが、そのコリーのお宅が どうも今の総理の御祖父堂様と深いご関係があったのか、その元総理大の後妻にと 大叔母にお見合いの話を持ってきて下さったという。 ある意味、とても有難きお話なのですが、大叔母は 「いやだい!そんな窮屈なのは!」と畏れ多くも 速攻断ったという。まぁ、でも、あのぶっ飛んだ 奇人の大叔母がそのような高名な人物の後妻など務まるはずもないな。お風呂上がりには必ず裸躍りしてくれたし、髪型がクズレルのは嫌だと、付き添いでプールにいってくれるのはいいのですが花柄のシャワーキャップ着用していたし。    


などと、健さんから芋づる式に出てきた、あの街の思い出を書いてみました。
綺譚というほどでもありませんね。


今はもう、健さんもチエミさんも、チエミさんの義母さんも、そして、大叔母も、天空の彼方へ。


楽しくやってますかね?