人はみな平等か。婚外子裁判を傍聴。 | HappyWomanのすすめ。

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東京都千代田区 永田町にある、最高裁判所。
今日ここで、「非嫡出子」の平等な遺産相続権を求める口頭弁論が2件行われました。

午前中に東京の男性、午後には和歌山の女性の裁判で、私は午前中の弁論を傍聴してきました。

締切時間ギリギリに南門に駆け込み、渡された整理券番号は66番。

有名人の裁判やメディアで話題になっている裁判は、傍聴人が多く抽選になることがありますが、今日は150人ほどの定員には満たず。希望者全員が裁判を傍聴することができました。

整理券を座席番号の書かれた傍聴券と引き換えて、裁判所の中へ。

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非嫡出子とは、婚外子、つまり法律上の夫婦のもとに産まれていない子どものことを言います。

裁判の争点となったのは、民法900条4号

「-嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし-」

これが、日本国憲法第14条

「-すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない-」

の部分に反する、つまり「違憲」だという主張です。


これはあくまでも親が子を「認知」している場合。
認知されていない子どもに相続権は発生しません。


「開廷!」という合図とともに、裁判官が入場。
70名ほどの傍聴人が起立で迎えます。
14名の裁判官のうち、3名が女性でした。


まずは、非嫡出子側の弁論から。

後ろ姿だったので、詳しい外見はわかりませんが、おそらく40代くらいの男性だと思います。

彼の主張はこのようなものでした。


「私は非嫡出子として生まれました。
それがゆえに、少年期から差別を受け、引っ込み思案な性格になってしまいました。
出生に対して、子どもになんら責任はありません。
自分ではどうすることもできないこの出生環境により、多大な不利益を被ってきました。
財産による不利益だけではありません。
民法の規定があるために、非嫡出子は嫡出子よりも法的に下であるとみなされ、精神的不利益を被ってきたのです」


声が少し震えているな、と思って見ると、パタパタと音が聞こえてきそうなほど、手に持った白い原稿が揺れていました。
こんなにも手が震えているのは、緊張からなのか、哀しみ、悔しさからなのか。
彼がこれまでにどんな差別を受けてきたのか、想像してみたけれど、私には分かるはずもありません。


続いて、嫡出子側の主張です。
同じく40代くらいの男性。

「民法はあくまでも補助的な役割であり、絶対ではない。
最も強い力を発揮するのは『遺書』なので、財産分与の問題はそれで回避することもできる。
法律婚を尊重し、一夫一婦制のひとかたまりの家族が社会を構成するのが今の日本である。
それが社会的安定と秩序につながっている。
これは、『差別』ではなく、『合理的区別』である」


とても堂々としていました。


どちらの主張も、それぞれの立場に立てばもっともです。


どう考えればいいのだろう、と私はわからなくなりました。
非嫡出子の権利を認めれば、婚外子は増えるのでしょうか?


総務省の統計によると、2010年度時点でのシングルマザーはおよそ108万人
そのうち、未婚での出産は12%で、2005年が8.9万人だったのに対し、2010年は13.2万人に増えています。
中でも、30代後半が多い傾向にある。
経済的に少し余裕があり、出産のリミットが近づいていることが理由かもしれません。

一方で、2011年の日本の中絶数は約20万人
さまざまな事情があると思いますが、経済的理由、あるいは社会的差別を理由に、未婚の母になることを断念した人も多いのではないでしょうか。


両親揃って、祝福されて産まれてくるのが一番。そんなこと、みんなわかっています。


「祝福する人間に囲まれた子供は祝福された子供になる。
生まれてくる子どもがかわいそうだと言う人が多いが、生まれてきた子供をかわいそうな子供にしてしまうのは、その子供をかわいそうな子供として扱おうとする人間たちだ」

と言うのは、コラムニストの小田嶋 隆さんです。


こっそり堕ろした人は明るみに出ず、決死の覚悟で産んだ母親は「無責任だ」と責められる。
子どもの不幸を望みながら出産する母親などいない。
人生のすべてを懸けてでも、子どもを産みたい、と思う気持ちは、きっと、それを経験した女性にしかわからないでしょう。

未婚の母や非嫡出子を差別するのであれば、そこには、立場上親になれなかった、あるいはなることを放棄した男性の存在があることを忘れてはならないと思います。


ヨーロッパでは嫡出子と非嫡出子とで格差のあった法律は排除されました。

日本もそれに追従していくのでしょうか。
そこには、どんな未来が待ち受けているのでしょう。
変化している社会環境や家族観の中で、明治時代から続いてきた民法は、現代にそぐわないものになっているのでしょうか。
一夫一婦制の日本において、婚外子の権利が認められるとしたら、「家族」そのものの在り方も見直されることになるでしょう。

社会の秩序は乱れますか。
その社会に産まれた婚外子は、今より幸せになれますか。


想像しても、わからない。

女性はこれからも悩んで悩んで、自分の人生と立ち向かっていくでしょう。
覚悟を決めて産むのであれば、うんと強くその子を抱きしめて、誰が何と言おうと、「あなたは望まれて産まれてきたのだ」と、出来うる限りの愛情を注いでほしい。


どんな事情があったのか、私には知る由もありませんが、非嫡出子側の弁論をした男性にも命懸けで彼を産んでくれた母親がいるのだろう、とその背中を見ながら思いました。


叶うならば、声と手を震わせながら権利を訴えたその男性に聞いてみたい。

あなたは、非嫡出子として産んだ親を、恨んでいますか?
産まれてきたことに喜びを感じたことはありませんか?
その命の価値は、財産分与の権利が半分だからといって、他の人より低いと思っていますか?


その人生が幸せだったかどうかは、本人たちが死ぬ直前に決めるしかない。
生まれてこない方が幸せだったのか、この世に生を受けることができなかった命に尋ねることはもはや叶わない。


民法900条4項は、合憲か、違憲か。
法律婚の子どもと婚外子は、平等であるべきか。
秋にはその判決が下される。




婚外子の相続格差、「合憲」見直しも 最高裁で弁論
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1001H_Q3A710C1CR0000/