前回記事「アヌンナキとシュメール文明」からの続きです。

http://s.ameblo.jp/happylife3749/entry-12247188046.html

 

 

こちらの情報から抜粋します。

http://www.project-vega.org/2014/03/11.html?m=1

 

 

 当時モヘンジョダロには荘厳な建物が数々存在し、見事なまでに美しかった。現代の東京の雑然とした景色とはまったく違い、都市全体が芸術作品のように整然としていた。建物はレンガ造りで、シュメールのジッグラトのように、現代の建物にはない温かい重量感があった。そしてそこにはシュメール同様に、さまざまな人種の人々がおり、ここも国際的な中心都市のようであった。

 インダスは、日本の都市のように無計画に作られた都市ではなく、それは綿密に計画されており、それを計画したのはシュメールの叡智を引き継いだ人々である。彼らは建物が人間の意識に与える影響を完全に理解しており、人間の意識がより自然に働くように、彼らが神と呼んだ目に見えない力が、その場にいるだけで顕(あらわ)される構造というものを理解していた。

 このような意識への影響は、単に建物の構造だけでなく、材質にもある。彼らはレンガを作る際にも、そうした観点に基づいて、人間の意識によい影響を与える最高の材質のレンガを作ったのである。道路もすべてが整然と規則的に並び、美しさを感じさせた。その安らぎを感じさせる整然とした並びは、日本の平安京と似ているものであった。平安京も、日本では珍しい計画都市であった。事実、日本の平安京は、このインダスの文明に歴史的な繋がりがあったのである。

 

 日本に現存する聖なるシンボル「十六菊花紋」のもっとも古いものは、平安京の朝堂院(ちょうどういん)で発掘されたものであったが、この十六菊花紋は、現在の天皇家のものよりデザイン上の比率がシュメールのものにより近く、ほとんど同じである。平安京は、秦(はた)氏の力によって事実上作られたものだが、秦氏は、その数10万という日本史上最大最強の渡来した人々であり、西方の地からやってきた。その意味は、秦氏がインダスから来たということではなく、両者の文化的ルーツが同じだということである。

 

 インダス文明のようにバランスのとれた文明でも、やはり寿命というものがあり、それは人間の死と同じである。どんなに優れた人間にも死は等しくやってくる。そして死を迎える時期には、その人の欠点が露呈されやすいように、文明もまたそうなのである。

 現代文明は今、死と再生の時に差しかかっている。この死と再生の節目は、人類を裁くためや苦しめるためにあるのでは決してない。この節目を通り越すことによって、人類は新たな展開と創造に出会うのである。人類の文明は約800年が「昼の時」である。文明の誕生から800年が経過すると、生命の老化と同じく衰退へと向かう。

 これはインダス文明においても同じで、文明の誕生から800年後の約4000年前から、インダスはアーリア人たちの勢力に圧迫されるようになった。

 

 インダスの次に栄えた東洋の地といえば、インドのガンジス文明である。ガンジス文明は日本人にも仏教のルーツとして馴染みが深い。日本が中国から輸入したその文明の中枢とも言える仏教や、それに伴うさまざまな学問は、言うまでもなくその昔天竺(てんじく)と言われたインドから輸入されたものである。インドのガンジス川流域を中心に栄えたのでガンジス文明とも言われている。

 ガンジス文明は、インダス文明の誕生の地であるモヘンジョダロから22.5度東に花開いた。ウパニシャッドなどのインドの高度な哲学には、インダスの感性が引き継がれている。現代人がよく知るヨガは、その典型である。

 この文明についても法則通りであり、古代インド文明を開いたアーリア人たちがインドに入ったのが3100年ほど前であり、バラモンの確立が3000年前で、「聖なるリズム」通りである。さらに地図で計測すると、モヘンジョダロから22.5度東は、東経90.0度であり、それはガンジスの真中心であり、年代も場所も完璧に一致している。もしもすべての歴史がこのパターンで進行していたとするならば、もはやそれは偶然とは言えないのである。

 

 現代人は西洋文明が優勢の時代に育っているので、初めから西洋の文明のほうが進んでいたと思いがちであるが、実はそうではない。彼らが人類の頂点に立つのは1000年代をかなり過ぎてからである。それ以前は中国が世界の頂点として君臨しており、その文化を学びに世界中から人々が押し寄せていた。日本の遣唐使などもその一例である。

 この年代も場所も「法則」通りである。ガンジスの中心から22.5度東の位置は、唐の真中心であるだけでなく、その位置には洛陽(らくよう)があった。洛陽は、中国のすべての歴史の中でもっとも長く都が置かれていた中国の中心地であった。

 

 

{557F3FF6-D093-452F-972A-E0489D4A3F26}
 

 

 さらに次の1600年後は、西暦400年+1600年(正確には1611年)で、現代である。そして問題の地球の脈動ポイントは、112.5度+135.0度である。この東経135.0度は日本の標準時ライン、つまり日本の真中心である。

 このラインは、明石と淡路島を貫いているが、たとえば135.02度にわずかずれるだけで、淡路島からは完全にはずれてしまう。それほどの精度で日本の真中心なのである。日本とシュメールの都市エリドゥとは90度の関係にある。

 正確には1995年が大地の脈動の年であり、それは阪神・淡路大震災があった年である。この1995年に起きた地震の震源地は、淡路島北部の東経135.0であった。それは日本の真中心の135.0なのである。

 人類は、自分たちの意志で歴史というものを築いてきたと信じてきたが、その自分たちの意志さえも、もっと大きな何かに導かれているということである。

 

 

{D32B2AD2-880E-4DC0-A175-14C6937051DA}
 

 

 シュメールの最高神官は、この西回りと東回りのスピンが、規則正しい相互作用で生じていると知っていた。この東西のスピンは、互いに正反対の時間的関係で結ばれている。正反対の時間とは、スピンが相反するように時間も正反するのである。

 1611年をサイクルとする人類の文明は、その約半分である800年の文明の生命を有して誕生する。これは昼と夜のようなものである。東回りスピンは1611年の内の最初の800年が昼、つまり活動期であり、後の800年は夜、つまり活動が停滞する睡眠期である。

 西回りスピンはこれと正反して、最初の800年が睡眠期で、後の800年が昼の活動期になる。現代までの資本主義文明の繁栄は、この西回りスピンの活動期が終わった夜の晩期である。東西スピンの活動期の交替は、今から800年前に起きているので、西暦1200年頃のことである。それは強大な勢力を持った中国が一夜の夢のごとくに消え去り、モンゴルの勢力に圧倒され、征服されてしまうのが1271年である。一方西洋文明では、イギリス人としての最初の王であるエドワード一世の即位が1272年である。そしてヨーロッパは活動期に入り、イギリスの全盛期へと発展してゆく。それはまさに、昼と夜のように入れ替わっている。

 

 西回りスピンの1周期は、ロンドンから22.5度東であり、それは東経22.5である。このラインはギリシャ文明の真中心であり、後のローマ文明へと続く文明の脈動ポイントである。現代の西洋文明のスタートを1200年とすると、1サイクル前は1611年前であるから、紀元前400年頃ということになる。あの有名なギリシャの哲学者ソクラテスは、紀元前400年頃にギリシャ哲学の楚を築き、それが西洋哲学へと発展してゆく。現代の科学文明の柱が西洋哲学にあるように、まだ科学の生まれていないこの時代の文明の柱は西洋哲学にあった。それに並行するようにローマの文明が発展していく。そしてその位置も、東経22.5度はギリシャの真中心であり、同時にそれはギリシャの中心都市ミケーネとスパルタを縦断している。それはまるで計算通りに敷かれたレールの上を、人類の歴史は進行しているかのようである。

 

〜22.5度と1611年という現象について〜

 22.5度と1611年というのは、ある天文学現象と正確に結びついた現象なのである。それは現代人にもよく知られた天文現象であるが、ただシュメール人はそれを天文現象とは見なさず、星々の命の鼓動として捉えていた。
 東経135.0度が
次の文明周期の脈動点になるということは、日本の中心が新しい世界文明の誕生地になるということになる。聖なるリズムとは、人間が五感で捉える感覚とは規模が異なる。一つの波は、1611年という巨大な波であり、この波が一つの形をとる転換期のためには、その16/1の期間が必要である。つまり約100年という期間を要するのである。

 これは惑星そのものの次元では、1995年前後の約100年がそれに相当している。よって現象として現れる人間社会の変化は、1995年から約100年間が転換期間である。その兆しとして、焦点が結ばれる地域周辺で、つまりアジアの広範囲が活気づくことになる。逆に、0度の焦点の周辺は力を弱めていく。これは転換期間であり、135度文明が最大の力を発揮する時期は、西暦2400年前後となる。そのピークに向かって社会も徐々に変化してゆくのである。

 ただ現代人は、もっとも肝心な真の節目の中にいる。西暦2400年の世界は、つまりは現代人の意識の結果が実現する世界である。この世界は見えない次元から形成されており、現象というものはそれよりも大きく遅れて現れるのである。
 これは個人の人生と同じである。今の自分の境遇は、今作られたものではない。それは10年前に自分が思い、行動した結果が今になって現れている。よって惑星の次元では、今がまさに新たな時代を築く節目の時なのである。人間の思考や思念は、常に同じ影響力を未来に向けて発するわけではなく、それが強く働く時とそうでない時がある。このリズムは個人のリズムもあるが、すべての人に共通するポイントとして、一日の中では早朝と就寝前、月の周期においては満月と新月、公転周期においては冬至と夏至がそうであり、この期間に人間が意識することは、その後の期間に強い影響を与える。

 地球は今、巨大なサイクルの夏至の期間に相当している。この時代に生まれた人々の意識は、後々の時代まで影響を与える重要な思考思念である。現代人は新たな文明の創造にとって、もっとも重要な役割を担わなければならない。
 新たな文明サイクルの誕生をうながす脈動は東経135.0度ラインで始まりつつある。東経135.0度を中心に、広大な範囲に対してこの誕生の作用は働き始めている。当然、この影響力は日本全土に及んでおり、すべての日本人はその影響下にある。いかなる文明の誕生に際しても言えることだが、このフィールドは聖なるリズムに共鳴する波長を持つ者にとって、新たなサイクルに向かう創造的インスピレーションを感知しやすいフィールドなのである。

 

 [聖なるリズム]が地球上の16の焦点に光を当てるたびに、さまざまな民族に光が当たることになり、どの民族に光が当たるかには、一定の法則がある。賢く真面目なドイツ人と、開放的なアメリカ人の性質とでは、まるで別人種のような違いがあることはわかるが、人種の上では彼らはまったく同一の人種である。これが大地の脈動に導かれる人類の真実の姿である。民族の個性を形作るものは、血統でも環境でもない。それを決定づける本質は、常に大地の力なのである。自然環境さえも、この大地の力に導かれる結果の世界にすぎない。すべての変化の本質には大地の脈動がある。
 大地の脈動は目に見えない波動的な領域に現れる。しかしこれは人間の五感では認識できないが、たとえば、日本人がかつて言霊(ことだま)と言ったが、それが本当の領域である。[音]にはそれぞれ個性がある。各個人が言葉として発する微妙な音の違いは、本人の持つ見えない波長と結びついている。現在アングロサクソンの言語である英語が定着しているが、この言語は今現在ある言語の中でも、特に個を主張する性質や、男性性を表面化させる性質がもっとも強く、論理性に長けているという性質を持っている。世界の多くの人が英語を話すようになった裏には単なる言語領域を超えた意味がある。この英語の性質には、人類の持つ二つの極性のうち、一方を強く引き出す性質を持っており、それは0度文明期の進展にとって不可欠な要因であった。一方、今ある言語の中で、英語とは対照的な性質を最も強く持つ言語は、極東に位置する日本の日本語である。

 

 

続く