2013年2月に出版された『原発災害とアカデミズム』という本の中にある安冨歩氏の「早川由起夫教授の福島第一原発事故に関するツイッターにおける発言についての考察」の中で、私のツイートを引用して、私の発言こそが差別を助長しているとされていました。以下に引用します。
P249~(引用開始)
『差別の抑制に関する人間の意志の無力を認めるなら、差別の原因になる事態の発生を回避することこそが、差別抑制の最善の手段だ、ということになろう。早川氏の言うように、広島・長崎の場合と違って、引っ越しすればそれで、放射能のみならず、差別を回避しうるのである。それゆえ早川氏の「がんこ親父」発言は、差別の抑制を目指したものだ、ということが明らかだ、と私は考える。
この発言に対して、軽率な攻撃を加えた者は枚挙に暇がないが、その大半は卑怯にも匿名である。片瀬久美子というペンネームのサイエンスライターが、次の様に発言していたのが注目に値する。
片瀬久美子@kumikokatase
早川氏の一連の差別発言の時にも、彼の発言のどこが差別に当たるのかさっぱり分からないという人達がいました。心理エラーによる麻痺みたいなものでしょうか。-2012年8月30日
以上の分析から、このような発言こそが、思考の麻痺によるものであり、差別を助長するものだ、と私は考える。』
(引用終わり)
※実際に早川氏がどの様な差別発言をしたのかは、次にまとめられています。
http://t.co/iV5Dpl48vy
安冨氏の考えに従えば、福島から避難せずに差別されることを回避しない人達は、差別を受けても仕方ないということにならないでしょうか。
また、安冨氏は「卑怯にも匿名である」として、次に私の名を上げています。代表例として取り上げたと読み取れます。しかし、ペンネームは著者としての責任を一貫して負っている名前であり、一般の匿名とは違っています。卑怯者呼ばわりは失礼ではないでしょうか。
■安冨氏による私のツイートに対する誤誘導について
”差別的な発言だと認識できないから、平気で差別発言をしてしまうのでしょうか…。”
”なるほど、それによって現れた行動として考えられますね。RT @sakura_osamu これこそ「行動免疫システム」の誤作動(=心のアレルギー反応)の典型例だと思うんですが。RT @かたせ 日本生態系協池谷会長「差別と思ってない」 http://t.co/EVTApq93 ”
”過剰な放射線恐怖は、心理的なエラーの1つとして解釈することが可能ですね。それに加えて他者への配慮が欠けている場合に差別発言となって現れやすくなるのでしょう。”
” 早川氏の一連の差別発言の時にも、彼の発言のどこが差別に当たるのかさっぱり分からないという人達がいました。心理エラーによる麻痺みたいなものでしょうか。”
(↑このツイートだけが取り上げられました)
佐倉統(@sakura_osamu )さんの「心のアレルギー」については、こちらを参考にして下さい。
Togetter「佐倉統さんの過度の放射性物質忌避についての仮説」 http://t.co/fBXgUg7vhS
※読売新聞に掲載された佐倉氏の論考から引用します。
『最近の進化学と心理学の学際研究から、人の心には病原体への感染を避けようとする「行動免疫システム」が備わっていることが明らかになっている。石器時代は病気にかかる可能性が今より格段に高く、かかったときのダメージも非常に大きかったので、人間の心は過敏に病原体を忌避するように進化してきた。風評被害は、これが「誤作動」したものだというのが、私の意見だ。危険がないのにシステムが機能してしまう誤作動は、生き物としての人間の進化を超えて環境が急激に変化してきたことに起因すると考えられる。行動免疫システム自体は、過酷な環境の中で人間が生き延びるために必要な性質だが、それが発動すべきでない場面で作動してしまうと、様々な弊害を生み出す同様の現象にアレルギー疾患がある。これも、本来は有害な異物を体外に排出するための反応だ。風評被害は、「心のアレルギー反応」といってよいだろう』
このシステム誤作動による「心のアレルギー反応」を「心理的エラー」の1つと捉えて発言したのが、安冨氏が取り上げた私のツイートです。
福島の人達への差別発言をどこが差別なのか感じとることができない人達についての考察は、開沼博氏も別の視点からされています。「どうしてぼくたちはすれ違うのか ―― 社会学者が語る、震災後の断絶の乗り越え方」 http://t.co/4Nl0oPtTfX
この対談の4ページ目から引用します。
『差別を「政治的な差別」と、「市場的な差別」に分けて考えるといいんじゃないかと思っています。その区別でいくと、リベラルといわれている方は、「政治的な差別」にはきわめて敏感です。が、「市場的な差別」には驚くほど鈍感なところがあります。こういう市場で起こっている差別に対して、「われこそは弱者やマイノリティーの問題に敏感だ」という意識が強いような、いままで差別に反対してきたはずのリベラルな方の目が向かないという不可解な状況があります。』
私は、開沼氏の視点にもなるほどと思います。早川氏の一連の差別発言を容認する背景には、福島の農産物を「食べたらケガレてしまう」と感じるのと、心理的な危険回避システムが過剰に機能してしまう誤作動によって差別が正当化されて鈍感になってしまうのではないかと推測できます。安冨氏の著書に戻ると、取り上げられた私のツイートは、池谷氏の問題発言に端を発した「なぜ差別を差別と感じられない人達がいるのだろうか」という思考の過程の流れの中のものであったのに、安冨氏は早川氏に対する「軽率な攻撃」であり、私のそのツイートこそが「差別を助長する発言」だと断定されています。
安冨氏の私に対する言及は全く方向違いであり、読者に大きな誤解を与えるものです。また、安冨氏の考え方に従えば、(再度書きますが)福島から避難せずに差別されることを回避しない人達は、差別を受けても仕方ないということになってしまいます。現実問題として、それまでの生活・生き方を捨てて簡単に県外に避難できる人達ばかりではありません。そういう人達は、差別を受けても自業自得なのでしょうか?。在日韓国人は日本から出て行けばヘイトスピーチによる嫌がらせを受けないのに、出て行かないから嫌がらせされても仕方ないのでしょうか?私は、そうは考えません。