リブログ記事前回の物語の解説だよ
前の記事に書いた物語の解説をさせていただきますね私たちライトワーカーは幸せになるためにはこうした方が良いのでは?幸せになるためにこれはしなくて良いのでは?という考え方をもっています。でも何故か、地球の多くの人たちからは私たちのこうしたらいいという考え方を「悪いことだ」「変だ」「非常識」って思ったりされます。ううん、でもライトワーカーの中でも、地球ルールにとらわれて葛藤してる人もいるよねこれ、物語の中で言えば主人公は「腕を鍛えたいなら、腕立てしたらいい」って思ってるのにそれを良しとしないその世界の人が「そんなのはずるです。スクワットや腹筋をすることで腕を鍛えるべきだ」って怒る。現実世界で言うところの「幸せになるためには好きなことをしていい」という考え方に対して「幸せになるためには嫌なことを必死で頑張らないダメだ。好きなことして幸せになるなんて、ずるだ」って反論があるようなものだね。物語では、年配の方が「腕立て(好きなことをする)こと自体に罪はないんだただ、昔、国の方針で『腕立ては罪だ(好きなことをするのは罪だ)』とされていた時代があって、今はその方針は無くなったけど『腕を鍛えるために腕立てするのはずるい(好きなことして幸せになるなんでずるい)』という考え方だけが残っている」と教えてくれるんだどうして、私がわざわざ物語形式にして「みんなー好きなことやって生きていこう」みたいに直球な記事を書かなかったかと言うとこの書き方だと、「好きなことで生きる?あー私は親が怒るから無理」「好きなことやるなんて夢のような話だよ」と思われたら、それ以上はもう私の言葉が届かないかもと思ったから。腕を鍛えたい → なら腕立て伏せをしたらいい→うんうん、理にかなってる→それはどうしてずるなの?という図式を腑に落としていただいてから幸せになりたい→なら好きなことをして生きていこう→うんうん、理にかなってる→それはどうしてずるなの?という図式に、好きなことをして生きることの問題の無さを当てはめていただきたかったのです好きなことをして生きるのに何故急に周りの人の目や親の目が気になるのか?いやぁ私にそんなことなんて…という気がしてしまうのか?日本という国で好きなことをして生きることそのものに罪はないのに。法律でも定められていないのに。やろうと思っても何となく、周りの目を気にしてしまうのは何故??物語から、きっと、人それぞれ何かが見えてくるはず。色んなことを感じていただけたら嬉しいです。「好きなことや得意なことをして生きること」それってとっても幸せなことだと思っています占い師のお仕事を始めてOL時代よりもずっとやり甲斐があって幸せだと感じていますなのでそんなことをこれからも色んな形で時に直球で時に遠回しにお伝え出来ればなと思います