昨年末、親族の一人と結婚したパートナーさんと話す機会がありました。この方は15年ほど前の診断でアスぺルーがと言われた、成人して社会人になってから自分が特性があるのだと知った人です。その会話内容が、いくつか読者の方の参考になるかもしれないと思い、ご本人と親族にも許可を取りましたので、書いてみようと思います。

 

成人してから診断された人の多くは、その時に心身の状態が悪かったから診察を受けたというケースが多いと思います。いわゆる、二次障害というものを発症しているわけです。

 

親族のパートナーさんも、職場で他のスタッフとうまくいかず、仕事に関して自分のしていることを、周囲からあれこれと指摘されたり、自分一人だけがなぜか浮いて上司から注意されるなど、怒りと口惜しさ、被害妄想に捕らわれて、自分の正当性をある意味証明したくて、周囲がどれほど理解がなくて安易に攻撃的に責めたり批判してくるかを訴えたくて、会社のカウンセリング利用をしたことが始まりです。

 

医師を紹介され、そこで検査を受け、心理士の丁寧な説明を受けて、初めて自分の「傾向」を知ったわけです。だからと言って、周囲の人間が正しいとも思えず、自分が悪いとも思いたくなく、カウンセリングを社内で受け続けつつ、何も変わり映えのしない不平と不満だらけの会社勤めをしていました。

 

転機は、親族と出会ったところから始まります。自分のチームがプレゼンを担当することになった仕事の会議室の場で、決めた進行と違う展開を始めた所から苛つき始め、「このプレゼンは失敗する」と感じたところから、チームメートへの指摘と進行妨害をやめられなくなり、明らかに混乱しかけたその状態で、別会社の社員であった親族が、側に来てささやいたそうです。

 

親族はあまり覚えていませんでしたが、パートナーさんはだいたい覚えていました。要は、

 

・ 予定通りに進行できなくて、すごいストレスを感じていませんか。

・ プレゼンは終わらせないといけないので、他の3人にやらせるといいです。

・ 今、見ている側ではプレゼンチームがもめているようだと話し始めています。もめたチームのプレゼンは選ばれない。このまま、満足できなくても3人にまかせて終える方が無難です。

・ 大丈夫です。もし伝えたい内容があれば、後から追加で補足することができます。

 

と、「理解できる言葉」で、話しかけてくれたそうです。この時の印象をこう言っています。

 

「この人の言葉は理解できる」

「今していることの何がだめで、何をしないといけないかを、明確に言ってくれた」

「自分がどういう状態でいるか、頭に入って来た」

「責められている、という、いつも指摘されている時の感覚が全くなかった」

 

だから、急に大人しくなり、チームの残りの3人がプレゼンを進行させて無事に終わることができたのです。この時に、すでに興味はプレゼンから「話しかけてくれた人」、つまり親族へ意識が飛んだそうです。

 

プレゼント後の雑談の時間にお礼を言い、名刺交換をしたときに「私も同じ性質ですから、あなたが考えてやっていたことがわかっただけですよ」と言われ、「はじめて、自分をわかると言ってくれた人だ」と雷に打たれて、親族が言うには「しおらしく、一生懸命に」話をしてくるので、ついまた困ったことがあればメールでも、と伝え、それから連絡を取るようになったのが出会いです。

 

親族としても、定型の人と話すよりは自分よりの価値観を持つこの人との方が、「よく話せばわかりあえる」ので、違和感は定型の人よりないから、ということで時々ご飯を食べに行ったり出かけたりするようになりました。相手は、初めて得た理解者で自分を「変だ」とも「屁理屈ばかり」とも「性格が悪い」とも言わず、ただ

 

「ああ、それはわかる。わかるけど、周りの人はこうこう、こういう風に感じて嫌がるから、私はあえてやらないし言わない。自分の考えはストレートに伝えて反感を得るとデメリットになるから、受け入れてもらえるメリットを確信した時になるべく出すようにしている。」

 

など、自分では思いもよらなかったノウハウを、周囲の人たちの考え方・感じ方を、ズバリと説明してくれるその言葉に夢中になったそうです。

 

そうして出かけた先でお店の人やウエイターさんにかちんと来たり、失礼だ!と怒ったりするたびに、「それは逆だ。逆にあなたが失礼だと誤解されているよ。」とか、「他人はあなたと違う価値観で物を見ているから、あなたのタイミングや期待を全く知らない。だからあなたの怒りはあなただけの事情で完結してしまっている。他人には全く関わりないこと。」という自他の境界線を明確に指摘され、ついには、過去の恨みつらみの出来事も話し、それがいかに「自分よりの自分だけの世界で展開していた」かを知ることとなり、アスペルガーについての本を、やっと積極的に読むようになり、

 

「自分というものを、はじめて実感として感じている」

 

「自分の体と自分の脳として実感できている」

 

と、今までにない感覚を得られたと言います。自分に対して常に持っていた不安、自分が自分で把握できないような漠然とした違和感、人間というものが全くわからなかった漠然さなどが、自分の中で小さくなり、気分、心、精神が安定していくのがわかったそうです。

 

結局のところ、あらゆる「自分というもの」がわからないまま社会生活を送り、混乱の中で人と対峙してその時々の感情だけが「実感」であったため、その実感が持てるすべてであり、そのすべてを基本にして生きてきたもろさが、対人関係のイザコザや不仲、ちょっとした仲間との仕事でのこだわりなどに反映してボロボロになった、ということだと思い返しています。

 

なぜならば、自分を把握し、自分と他人という視点が持てた今は、どんなに自分が偏った考えの持ち主であっても、それは目の前にいる別のスタッフが持ちえない考え、価値観だと自分に言い聞かせることで、自分の考えはこうだ、と先に説明することができるようになり、他人に「何でわからないんだ!」「わかれよ!」という怒りのままに、何も説明していないのに理解できて当たり前だと考えることをしなくなったからです。

 

この「自分の考えを相手が理解するのは当たり前」は、何の説明もなければ、他人には不可能なのだ、という現実をしっかりふまえて、自分は「違うのだ」という立ち位置をしっかり固めて、あらゆる言動をスタートさせると、それなりにイザコザせずやっていける、と経験するようになっていきました。

 

親族とこの人は、最終的に気が合うこともあり、仕事も共に続けられる「生活のテンポが変わらない」ことも好都合で結婚しました。パートナーさんは仕事場で、「恋愛してる最中はイライラすることが少なくなって、急に怒ることもしなくなり、性格がまるくなった」とうわさされていたそうです。恋したから、人が変わった、と周囲からは思われていますが、パートナーさんは、親族が「自分というものがどんな種類の人間か」ということを教えてくれたから、自分がどんな考え方の人間かわかったから、他の人達がどんな考え方の人間か、わかったから、と考えています。

 

誰にも教えてもらえない、人の考えや価値観が把握できない、未知の世界で生きてきたこのパートナーさんは、やっと自分が生きる世界のことがわかり、自分の視点、それ以外の視点を知ることができ、心に安寧が訪れました。親族とパートナーさんは出会った時から喧嘩することもなく、いつもよく話をしていて、お互いに似通った点を持つ同類として同じ空気を持ち、リラックスできる貴重な相手だからと、仲がいいです。

 

最後に、このパートナーさんはご両親にとても攻撃的で、ご両親も同じスタンスだったために険悪な親子関係を持っていました。今、自分の過去を振り返り、手紙を書いたり親族と共に実家を年数回訪問するなどして、「自分が崩壊させた親子関係を修復中」だそうです。

 

久しぶりに、成人の発達障害に関する記事を書いてみました。

 

 

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