・それは自分を殺してる。自分の本当の声が聞こえないほど、酷なことはないね。 | 加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

毒親育ち、アダルトチルドレン、恋愛依存(DV)などの実体験を元に、"わたし" を生きる方法を伝えています。
▶︎セッション実績…2013年〜 5000件以上
▶︎メディア…NHK(クローズアップ現代+/あさイチ他)/朝日新聞/他多数。
▶︎著書「ワタシの母は毒親でした。」




何度も何度も練り直す。

イメージングして、文章も何度も直す。

小さな語尾の違いとか、わたしにとって大切。


何枚も印刷してはイメージングプレイ。

朱書きの嵐。

それもまただいすき。

真っ赤なわたしの文字であふれる感じがね。


やってるところを妄想し、毎日、何度も見直す。

場所を変えてイメージしながら見直せば、また新たな気づきがあるから。

そんなのを繰り返しながら完成したこのワークショップのテキスト。
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趣旨は変えずとも、開催する度に毎度見直すので、その都度話す内容を少し変えたりする。

そして、

どんな方がご参加されるかによって話す内容も変わる。

マンツーマンのときもあれば、複数のときもある。

それに合わせて、臨機応変に変えていく。


同じテキストでも、全く同じことができない、このワークショップであり、その他のすべてのメニューもそう。

テキストがないものでも、手帳やノートに書き出しての試行錯誤は欠かさない。

考えて考えて、

何度もいろんな場所で練り直して作っている、大切なわたしの作品(メニュー)の1つ。
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同じように、

ご自身を大切にしたい

という思いがある方が、ご参加くださっていると確信しています。


大切な作品(メニューだけど)にこめたわたしの思いが届き、

かけがえのないご自身と向き合う、かけがえのない時間となりますように。

そして、

すべての人の中に必ずある、自分への愛に気づくヒントとなりますように。


そんな試行錯誤を繰り返すのがだいすきだし、

しかめっ面でつくったり、ときに自分と向き合ったりしながら、

できたときの感動は最高。


でも、

完璧なんて、この世にないから、

永遠に改良するのが好き。

「もっとよくなるところがあるはず」

って。


明日はどんな時間になるだろう。

テキストに散りばめた伝えたい趣旨に、わたしはどんな肉付けをするんだろう。

いつも、ワクワクしています。

テキストに、思いを込めてのぞみます。



テキストがないはないでいいんだよね~。

あると、テキストに書いてあるって依存して、気づきを減らしかねない。

だって、自分で気づくのが一番だから。

自分で気づかないと変わらないもん。

他発でなく、自発でないと。


何を持ち帰るかは、受講生さんそれぞれ。

それでいい。

だから、テキストをあえて作らないものもある。

考えてほしくて、自分で考え、気づき、行動する力を持ってほしくて。

逆に、つくるときもある。

できるだけシンプルに、

自分で考え、気づき、やりたくなるように。


テキストがあってもなくても、

わたしがかなり練り込んでつくっているのは同じ。






さて、話は変わりますが、ネイル後にぶわーっと書きとめなくちゃと思ったことを。





わたしは、たくさん嘘をついてきた。

母には、特にね。

なぜかっていうと、

母は、わたしを信じてくれなかったから。


わたしを信じない母と、祖母は、

わたしのことを、

「あんたはすぐ嘘をつく!」

といい、門限や友達との付き合いを制限したり、わたしの日記や、友達からの手紙を影で読んでいた。

生理の日も、トイレのゴミから把握されてた。

そんな二人に、わたしはまた、ウソをつく。

そんなわたしはまた、二人から信じてもらえなくなる。


でも、二人以外に、もっともっと、ウソをついてた相手がいた。



その相手は、

わたし。





わたしは、わたしに嘘つき。

よくブログでも書いてるけど、

わたしへの最大の詐欺師は、他の誰でもない、わたし。



他人はわたしに何もしない、すべてわたしがわたしにしていること。

いいと感じることも、嫌だと感じることも。

全部自分の責任。

自作自演のクソミソ劇場という、たった一人、自分が創った世界を、自分だけで生きている。

アドラーも言っている、

”人は主観的な世界に住んでいる”

ってやつだ。
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▶︎岡田さんのこちらの記事もいつものごとく大変わかりやすいね!


人のせいにして生きてきたわたしは、うまくいかないことを全て母親のせいにしてきたから、

こう考えられるようになるまで、2年はかかった。

自分と向き合うつらい作業を経て、やっとこさだ。





次の予定があるから、そろそろ用意しますって言えない。

トイレに行きたいのに、話をさえぎって、トイレ行くねって言えない。

好みじゃないものをもらって、嬉しそうな顔をして受け取ってしまう。

うそつきうそつきうそつき。


なぜこうなるのかももうよくわかる。

幼い頃の、体験から身につけた思い込みのせい。

おとななほのせい。




我慢ばかりの、人生。

自分の願いを叶えない、人生。

自分に嘘つき。


人を傷つけないように、

用意しますって言えずに、トイレ行きたいって言えずに、いらないものも受け取るつもりでいるけれど、

それこそが人を傷つけていたことだよね。

誰も喜ばないよね。

最悪最低。



こんなんでは、いつまでたっても自分を信頼できないと思った。

自分との約束を守れないって思った。

こんなんでは、いつまでたっても他人を信頼できないって思った。

本当の意味での、他人との約束を守れてないって思った。

もう、やめたかった。

心底嫌気がさした、自分に。

そして今も、

自分を観て、思い込みに支配されてる自分に気づくたび、

心底嫌気がさす。

吐きそうなくらいになるときもある。


二度とごめんだ。

もう、やめる。

そしてもっともっと、

やめていきたい。



自分を知れば知るほど、

「誰かを傷つけるかもしれないし」

という、キレイな、相手を思いやるようであり自分を守ることでしかない言葉を心の中で自分に都合よく使うことで、

我慢をする自分を、自分に嘘をつく自分を、自分への裏切りを、

最大限に美化してきた。

最低だ。

そんな、偽りの塊の人が目の前にいて、喜ぶ人がいるだろうか。

いるわけがない。

そして、

我慢してるから、どこかで相手の文句や愚痴や悪口は必ずついてくるよね。

口に出さずとも、心の中で悪態ついたりしちゃうわけ。

これってさ、

「誰かを傷つけるかもしれない」

 という、わたしのキレイごとからくる、ただの嫌われることへの恐怖からのいい子ぶりっ子からくるわたしへの我慢、わたしへの嘘、わたしへの最大のこそが、

誰かを傷つけることになっていたってことだ。

こんなん、優しさとは言わない気がする。

悪態つくのって、本人の耳に入らずともタチが悪い。


なんじゃこれは!  って話だ。

本末転倒極まりなし。



そんな最低な自分、二度とごめんだ。





自分を大切に思う人といたいと思った。

その人は、わたしを大切にしてくれるから。

だって、

わたしがわたしを大切にしたら(ちびなほの声を聞いて、それを行動に移したり、ウソをやめて本音を言う勇気を出し始めたら)、

相手がわたしを大切にしてくれるようになったから。

実証済み。

そして、

わたしがわたしを大切に思うほど、人を大切に思えるようになってきたのだ。


そしたら、

もう、

自分への嘘は、

見逃せなくなってきた。

見逃すと、

ウソをつくと、

自分を裏切ると、苦しくてたまらない。

今日やりたかったタスクができないと、わたしはとても苦しい。

今も苦しい。

今日、やりたかったことができてない。

できてないからか、今日はネイルの時間以外のすべてが頭痛がしてとても苦しい。

こんなにも体が知らせてるのだから、わたしはまたわたしを裏切ったのだろう。

今日やりたかったこと、タスク、ふせんが、今日減らせなかったからだ。

それ以外にも、人と関わる中で、我慢したこともあったからだ。


でもそれは、

前の、弱ってたわたしのような、自分を”責める”苦しいじゃない。

それとは違うの。

落ち込みは、そうしない。

落ち込んでても、

「よっしゃ、次こそ完了させたるからな!」

という、男勝りのような、ネガティブとは違う、

なんだろ、そんなんが現れるからすぐ立てる。

そして、ちびなほの願いを叶えていると、

ちびもわたしも幸せで、充実感でいっぱい。

でも、

ちびの願いを、叶えられないと、わたしの中にいるいろんなわたしが、イラついたり悲しんだりするの。

もう、後者はこりごり。

でも、後者な、叶えられない、ようは、人の顔色、人の目、世間を気にする過去からのくせ、

つまり、

自分への嘘、最大の裏切り、詐欺師のくせが長いことこびりついててね。

すぐ現れる。


じゃなく、過去を生きてしまうくせ、過去からのパターンを生きるくせがもうひどくてわたし。

観れば観るほどうんざりする。


毎日が、せめぎ合い。

毎日が、自分との戦い。

昔身につけた、愛で身につけた、わたしのクセと、本当のわたしの気持ちとの戦いなの。


そしてね、

本当の望みを叶えるには、かなりの勇気がいる。

それはつらくないけど、ちょっと苦しい。

だからみんな、無意識に、本当の望みを見ないようにしてる。

気づいたら大変だもん。

毎日がせめぎ合いで、戦いで、幸せになるのが怖くて勇気がいるのがわかっちゃうからね。


そして、

勇気を出すのは、簡単ではないし。

自分との戦い、

自分への、自分からの、勇ましい、気持ち。

でもそれは、いまのわたしにとっては前向きな苦しさ。

その先に、最高の景色があるのはもう知ってる。

体感したいから、前向きな苦しさと、わたしは戦う。

わたしはわたしを、わたしの人生をかけて、席巻したいから。




 

気に入らない

とかじゃない、

ぴったりではない

と思い、

ぴったり

を見つけてしまったから、自分に正直でいたくて、かえたばかりのネイルを、1週間で替えに行った。

予約がすぐ取れた時は、もううれしかった!!


もう、我慢できなかった。

自分に嘘つくの、つらかった。

もう、こんなに悲しい思いを自分にさせるのはこりごり。

書いてて涙が溢れてくるくらい、わたしは長いことわたしにウソをついてきたから。



お気に入りの作品がのったわたしの指先を見て、感じて、

思いと、指という体の一部が、一体となって、

ちびなほ、おとななほ、わたしも、一体となっている。

このときのこの感じ。

自分の中と外が一致したときの、小さな感動。

やめられない。

自分が自分を信頼した、証。

信頼したからこそ、得たもの。


これはね、

たくさんうそついてきたわたしだからこその感動だと思う。

幼い頃から、自分の思うようにやってきた人には伝わらない喜びかも。

幼い頃から自分を信頼してたら、それは当たり前のことだから、わたしほどの感動はなかったかもね  ってこと。


でも、わたしはこれがきっとほしかったの。

この、感動が。

だから、

ウソをついてきた時期は、あってよかったの。

それは、これからたくさんの喜びが待っている証であり、伸びしろなの。

かといって、当たり前だけど、

感動ほしさにまたあえてウソをつこうとは思わない。

これからは、小さな感動、自分への信頼を高めて生きていく方をわたしは選びたい。

だから、

わたしはわたしを観るのを辞められない。

観れない とか、観るのを辞めるとか、

それはわたしがわたしをキャッチできなくなること。

それはわたしがわたしを殺すことになること。

そんなことはもうしたくない。

てか、

このおもしろさを知ってしまったら、辞めることなどもうできないね。





ネイルの写真、もらったら載せます。

こんなに早い期間でネイル変えたの、初めて笑


今日も、自分の勇気に、乾杯。

昨日もすばらしい日だったけれど、今日も最高!!


あぁ、自分として自分が生きてること、泣ける。

生きてる、わたし。