ある日のラインチタイム。
生意気な甥っ子がどんなに辛辣に母親に口答えするかを友人に話したら、彼女がこう言った。
「私、5歳の頃に母親に言われた言葉と自分が母親に言い返した言葉、今でも覚えているわ。
母はね、誰もあなたのことを好きな人なんていない、
あなたの面倒を見るのは本当に大変だから、どんな保母さんでもあなたには手を焼くのよ、って言ったのよ。
私、そんな母に言ってやったの、自分の面倒は自分で見る!って。」
すでにりっぱな大人になり、親からも自立している彼女は涙をひとすじ流して続けた。
「だから、大人になった今も、誰も私のことが好きじゃないの。」
彼女の心の深い深いところで5歳のままの子供の彼女が泣いていた。
幼児期の子供の心はマシュマロのように柔らかくて真っ白なキャンバスのようなもの。
母親から何気なく放たれた言葉のナイフは、真直ぐに子供の心に突き刺さり、棘となって心の深くに入り込む。
一度、心に黒い墨をつけられた子供は、一生、その墨を消せないまま、大人になる。
いわゆるトラウマ。
経済的に親から自立し、異国で暮らし、友人もいる彼女。
でも、精神的には、母親に言われたその一言から逃れられずに生きている。
呪いのように、言葉の呪縛に今も苛まれている。
当時の母親の年齢をとうに超えた彼女は、子育ての苦労や仕事のストレスからその言葉が放たれたことを、今は、頭では理解している。
親だって完璧じゃない。
たくさん欠点のある一人の人間。
でも、心では違う。
彼女の心の中の棘は今も奥深くに入ったまま抜けないでいる。
なぜなら、幼い子供には親はパーフェクトな存在で、親がすべて。
どんなに口答えしたって、親の言葉はまっすぐに子供の心にどんどん入っていく。
幼ければ幼いほど、子供の心は親の言葉で出来てゆく。
友達だっているし、あなたのことを好きな人はたくさんいるのよ、と私が言ったところで、大人になってしまった彼女の心には慰めでしかない。
言ってしまった言葉は決して取り消すことはできない。
人間だもの、疲れていたり、ストレスが溜まっていたら、本心では思ってない言葉が出ることもある。
でも、そのあとでお母さんが子供の目を見て、きちんと謝って訂正してくれたら、謝ったあとで彼女を抱きしめて、どんなに彼女を愛しているか、彼女が生まれてきてくれてどんなに嬉しかったかを伝えてくれたら、彼女の心は全然違っていただろうに。
その後の彼女?
大丈夫、その後、美味しい中華をたっぷり食べて、沢山しゃべって沢山笑ったら、いつもの彼女に戻りました。
呪縛から逃れる秘密も話しに混ぜ込んだので、賢い彼女なら私の言ったヒントがわかったでしょう。
他人に話すことで、自分の心の中の整理が付きます。
当時の母親のことも幼い自分のことも客観的にみることで、大人になった自分の新しい価値観で新しい解釈を与えて、過去の思い込みを変更することができるのです。
トラウマだって溶かして消すことができます。
それにしても、普段、何気なく使っている言葉、特に親しい間柄ほど、わがままが出て言いたい放題になるけれど、
私自身、自戒も込めて、特に愛する人たちには、なるべく愛のある、光を差し込むような言葉を使いたい、と思います。
また、親しい人たちが私のために言ってくれる言葉を豊かな感受性で受け止められるようにありたいと思います。
一言の言葉のもつ重みについても改めて考えさせられた出来事でした。