以前書いたブログ「すべては自分自身」を読んだ方から
http://ameblo.jp/hernabeauty/entry-11022817451.html
お悩みのメールをいただきました。


「対人関係は自分の鏡。。

自分と周りの方の関係など色々と考えています。

お友達、知り合う方々は見習う点も多く、
とても素敵な方々で幸せだなぁと思う反面、
お友達ではなくお付き合いをしなければならない方々の一部の方には
意地悪な方が。。

私が気にしすぎでマイナス思考なのかもしれませんが、
私だったら、そんな事したり言ったりしないのに。。と思います。

でも対人関係は自分の鏡。。。

私だったらそんな事したり言ったりしないと思っていても、
実は自分はそういう意地悪な人なのかな?と。。。

自分でがっかりしてしまうほどです。。

自分が蒔いた種」(悪い事が起きた時)や
「人間関係は自分の鏡」と言うので、
私は悪い事をした覚えはありませんが、知らない間にしていたり、
私自身が、いや、私の存在すら悪い、と思ってしまいます。


もっとポジィティブ思考だったら意地悪を気にしないのかもしれません。

自分でネガティブを引き寄せてしまっているのでしょうか??」



バシャールや色々な本によると、
私たちは敢えてこの大変な時期を選んで
この地球に生まれた勇者だそうです。


確かにこの地球上の生活は非常に大変で、
どんな人であれ、悩みは尽きないものです。


それは私たちがこの地球上で学んでいる生徒だからだそうです。


嫌なもの、見たくない人、聴きたくない言葉、など
私たちの周りにはどうしても嫌なものや嫌な人がいて、
更に災害、病気、困難などたくさんの試練があります。



これは自分が悪いから、
自分がネガティブだから
そのようなものを引き寄せているのでしょうか?


いいえ。
そうではありません。


私たちは嫌なものや嫌いな人を見ることで、
反面教師として、こうはありたくなり、
こんな言葉は聴きたくないし言いたくない、と
嫌な人やものを通してさえも学んでもいるのです。


良い人が居れば悪い人もいる。


自分の周りのすべての人は私の先生であり、
同時に生徒でもあるのです。


何を学び取るかはその人次第です。



だから、自分の中に意地悪な気持があるから、
意地悪な人に目がいくのだ、自分が悪いからだ、
と自分自身を責める必要はないのです。


私たちは対人関係から色々なことを学んでいるのです。


ただ経験によって学んでいるだけなのです。


そこには良いも悪いも本当はないのです。



私たちの世界では対比するものが混在して、
その対比によって片方の存在がより明確にわかるようになっているのです。

そしてより私たちの理解が進むのです。


例えるならば、光と闇。


光は、闇があるときにその輝きを一番より明確になります。

闇がなければ光がどんなにまぶしく輝いてるのなのかを実感できません。

逆も同じで、闇の暗さは光と対比したときに、
よりくっきりとわかるものです。

夜になれば暗くなるから人は眠ることができるし、
朝になれば光で明るくなるから活動できる、
それだけのことです。

闇にも光にも、善悪の意味はないのです。


体験を通じて理解した上で
自分で物事や付き合う人を選んでいるのです。


選択権は自分にあるのです。



明らかに意地悪をするような人と接したときに
自分の心の中に、「意地悪な人は嫌だな」、
と思う気持があるのは当然のことで、
それによって言葉の使い様や言い方、
心優しい友人のありがたさなど、
色々な気づきと学びがあるのです。


どの学びを感じ取るかは自分次第なのです。



なので、どうぞ、嫌なものが目につく自分に
がっかりしないでくださいね。


私たちは日々学んでいるのです、体験を通じて色々なことを。


自分が日々直面することから何を学び取るか、
何に気づくか、が大切であり、
どう感じるか、どう捕らえるかは
そのときの自分の成長の度合いによって違うだけなのです。


体験に良いも悪いも本当はないのです。


良い体験、悪い体験は
自分が自分の視点で意味を付けたにすぎないものなのです。


悪い体験は、後になって、実は
自分の考えを直す転機となる素晴らしい体験にも変化するのです。


すべての意味づけは自分の考え方次第なのです。



では、現実的に心が悲しくなるほど
意地の悪い人に対処するには。。。


なるべく接触を持たないこと。

「逃げるが勝ち」ということがあります。

自分を故意に傷つけるような人とは
敢えて接触しないことが一番です。


関係上、どうしても接触を持たなくてはいけない場合は、
相手の言葉を心に真に受けないで流すこと、よける事、
車の騒音くらいに聞き流すこと。


意地悪な人というのは、自分が不幸だから、他人に意地悪したり
暴言を吐いたりして、自分の憂さを払いたいのです。

そしてその対象となるのは、
優しくて大人しそうな、反論を言わないような人。

そんな子供のままのような人の言葉に傷つく必要はないのです。

憐れむべき可哀想な人は、意地悪な人なのだから。

その人は不幸な人なのです。
自分で自分の感情をコントロールできない未熟で無作法な人なのです。



弱い面を相手に見せると、意地悪な人というのは
もっと意地悪をしてきますから、決して下手にでるのではなく
平然としていること。


無視してもよいのですよ。


面と向かって反論できたら反論しましょう。


反論するのが時間の無駄だと思ったら、相手にしないこと。



一番大切なのは、ネガティブに引き寄せられることなく
相手を客観的に見て、客観的に接すること、ですね。


自分を女優だと思って演じてください。
意地悪な人をうまくかわす演技を身につけてください。


そして心の中では、自分は体験を通して色々な人や物事を
学んでいるのだ、ということを冷静に理解すること。。。



ポジティブがすべて良いわけではなりません。


ネガティブもポジティブも両方を経験することで
より深く理解できるように学んでいるだけなのです。


結局は私たちの意識は1つなのです。



なので自分にがっかりしないで、悩むことなく、
色々なことを学んで日々、成長している自分を
受け止めてあげてくださいね。


心の持ち方としては、
自分が楽しく、楽になるものに焦点をあわせること。


嫌な人や嫌な出来事で心を満たすのではなく、
それは今の自分に必要な学びと受け止めて、
受け止めたら脇へ置いといて、
日々の楽しい出来事で心を満たすようにすること。


そうすることで、より喜びで満たされる現状を創ることが可能になります。


「見つめるものは拡大する」、です。


ただ、人の心は自由です。


誰もその人の心を縛ることはできないし
心の動きを強制することはできません。


唯一、私が私の心をどのようにも支配することができるだけなのです。


自分の心をどのように使うかは自分次第。


悲しんで過ごしても良し、
楽しんで過ごしても良し、
泣いて過ごしても良し、
笑って過ごしても良し。


すべては自分の選択なのです。


自分の心が喜ぶ毎日を過ごすことができますように。