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こんにちは。
女性の健康と美と輝く人生を応援するConyです。
今日も自己紹介の続きにお付き合い頂いてありがとうございます。
私のこれまの経験や気付きや解釈が
皆様の人生を明るくするヒントになるように
自己紹介を綴っています。
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私の父は35歳で糖尿病になり、
節制の無い食事とストレスの結果、
53歳で脳溢血で倒れて、
その後14年間一度も退院する事なく
病院で亡くなりました。
私は、そんな父をずっと可哀想な人、
と思い、哀れみの気持ちを抱いていました。
そんな父の遺伝子が私の中にも入っていて、
父の人生を自分の人生に重ねて、
暗い影の様なものをずっと抱えていました。
夢を持って脱サラして、事業に失敗して、
思う通りの人生を生きられないストレスから
私が中学生の時には、いつも麻雀や賭け事で
家に居なかった父。
親戚からも見放され、
後半はやけっぱちの人生だった様に思います。
父が脳溢血で倒れたのは、
私が高校3年の12/17の夜でした。
麻雀荘で倒れて、
なのに自力で車を運転して帰ってきて
翌日痺れがあると病院に行った時は、
お医者さんは脳溢血を発見できなくて、
鬱と診断されたのです。
入院してお見舞いに行ったら、
頭を下げてずっと俯いて、
言葉もおかしくなっていて
繰り返し「弟が来た」とばかり言うのです。
叔父は数年前に亡くなっているのに。
変だね、どうしたのお父さん
と母と言い合って1週間後には
右半分が使えない状態になっていました。
その後14年間の間に、糖尿病から失明、透析、
足の壊疽でどんどん脚を切り、
最後は膝から下がない状態でした。
薬を飲めば飲むほど状態は悪化して、
最後まで病人として病院で亡くなった父。
父の姿を通して、病院は病気を治すのではなく、
薬や手術で症状を一時的に止める処置しかできないことをまじかで知りました。
お医者さんは病気と薬と手術しか知りません。
健康のことを勉強しないのですから当然です。
父が頼りにしていた医学博士の弟(私の叔父)は、
気づいた時は末期がんで、あっという間に亡くなり、医学博士だった妻(私の叔母)は膠原病と痴呆になり、医学博士の子供達(私のいとこ達)は、自分の母親を治す事が出来ずに、長い期間苦しんで亡くなりました。
健康になりたければ、
自分が病気になった原因に気付いて、
原因となった悪い生活習慣を変えるしか
健康を取り戻す方法はないことを
父や叔父叔母の姿から学びました。
脚を切るたびに火葬場へ行ってお骨に燃やしてもらった母も苦労が絶えなかったと思います。
父が倒れてから、借金が取りが家にきて
父の賭け事で数百万円の借金が発覚して、
まさにドラマの様な転落人生😑
父は持病のために保険も入れず、
保険金もなく、家計は逼迫。
家族の大黒柱を失って、
見えない深い奈落の底に迷い込んでしまって、
安心できる幸せな時間はもう戻らない悲しさで、
途方もなく暗い気持ちになったのを覚えています。
が、全ては少しづつ日常になります。
父の入院も日常になり、
お正月は病院で過ごすのが当たり前になり、
借金も少しづつ返して、
私も就職して、
淡々と毎日は過ぎてゆきました。
でも、私の心の中にはぬぐいようのない
暗い影がずっと居座りました。
父と同じ遺伝子が私の中にあり、
糖尿病の恐怖と甘い物が辞められないジレンマが
重い淀みの様に私の中に影を落とし、
いつか私も父の様になるかもしれない、
という見えざる運命を感じました。
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今思うと、深刻になり過ぎ‼️
悲観し過ぎです。
メロドラマの悲劇の主人公気取りで、
井の中の蛙で、打たれ弱い
甘ったれCony全開ですね~!
つづく →パート2はこちら