ベンゾジアゼピンを10年以上、「栄養剤」の様に飲んでいた方のブログを読みました。


突如、更新されないブログから、

今はご存命ではない。。。と察します。


まだ40台半ばの若さで、知性・体力・仕事・家族・人間関係に恵まれた人生が、一変


身体の異変と破壊が急速に進む中、

適切な減薬の知識を持つ医者は皆無


孤独と恐怖と絶望に横臥する日々


大事になる迄小さなサインに気付けず、薬害の疑惑は確信に変わるも、時すでに遅し


取り返しのつかない事態と

幾度となく吐露する後悔の念


ストレスを無視して仕事に奮闘し、交通事故をきっかけに心療内科の門をくぐり、医者の言葉を信じて、薬に依存してしまった経緯



これは他人事ではない。


辛い症状を簡単に楽に解消してくれる方法があるなら、誰もが縋って依存する可能性がある。


薬の毒性の程度の差はあれ、発熱・頭痛・生理痛・風邪などで、繰り返し薬を飲み続けることも同じで、誰にでもありえること。


実際、私も同じで、10代から20代前半までは、冷えたり疲労が続くと繰り返す膀胱炎に、原因も顧みず、反省もせず、薬を飲めば簡単に治ると、何の躊躇も無く抗生物質を飲み、


毎日ジャンクな駄菓子やアイスを食べて、

砂糖と小麦粉に依存していたものです。


父も、癌の三大治療の末、逝った医学博士の叔父も、膠原病だった医学博士の叔母も、予防接種で小児喘息になった兄、その治療の為に奔走した母、皆、医療と薬を信じて、薬害に、苦しみました。


現在、日本では、1日に千人が癌で亡くなっていますが、実は、猛毒の抗がん剤治療や検診による不必要な早期発見で、死期を早めている、と言う事実が露呈しています。


自分を蔑ろにし、安易に薬を使い続けると、どうなるのか。


薬だけではなく、化学薬品入りの加工品や日用品、抗生物質入りの餌を与える養殖魚やホルモン剤入り肉など、腹脳と脳を破壊し、人間らしい思考や判断力を歪め人生を破壊するものは日常に溢れている。


薬も食も、便利・簡単・楽なものほど恐ろしいものはない


そう心得て、家族で友人で共有したい。





以下「人生の転期・下山日記」より抜粋


https://blog.goo.ne.jp/lifeischangeable/e/b503f4218b73c4eb5c4097f77c6f3886


『自分は喜んで毒を飲んでいた』


『この5-6年は責任を背負わねばならない孤独な場面が多くありました。勢力争いというか板挟みになることもざらであり、ストレスを反らしていたつもりが服薬してまともに受けていたのだと思い知りました。そのような仕事をするために職場に入った訳ではないのです。⚫︎⚫︎貢献という耳触りのいい言葉でやりたくないことをやっていたのだと思います。いい気になった操り人形です。服薬継続は環境が最大の要因でした。馬鹿らしい。』


『向精神薬は、「戦争に行け」と言われたら従順に「はい、行きます」というイエスマンを作り出すための薬だと思う。

やる気を出さなくても、世の中に懐疑的であっても、自分のペースでじっくりと考えて、判断する日常に向精神薬は必要ない。

そういった常識が大前提のコンセプトを生業として生きてきた自分がそれを見逃したことが、本当に恥ずかしい』


『ベンゾジアゼピンほか、精神薬を迂闊に飲むべきではない。 医者の服薬指示に簡単に従ってはいけない。多くの場合、いい加減ででたらめである。薬は絶対にリスクを考えなければならないものである。ベンゾジアゼピンは絶対に飲むべきではない。このブログの筆者は命を賭けて書いている。

ベンゾジアゼピンは筋弛緩の薬だが、長期にわたって飲むと筋攣縮の逆効果が現れ、ストレスと複合してついには神経を壊して筋肉を壊してゆく。嘘ではない、筆者は生きながらにして経験している。ベンゾジアゼピンは、将来未来のささやかな幸せや希望を全て犠牲にする。飲んだら常識を超える悲惨な経験をしなければならない。』

 

『ストレス代替で喫煙や缶コーヒーていう選択のところ、デパスという選択をしてしまったのだと気づいた。運命の分かれ道だった。クスリの認識が薄かった。。。』


『現在の状況や将来予測、置かれた自分の立場は、誤解を恐れずに申し上げれば、致命的で、医療の隙間に落ち込んでしまって生殺しであり、末期癌よりも悲劇的であると思っています。足の裏の筋肉がなくなるような信じられない状況や、耳鳴りが24時間続き、脳の緊張が継続し、目を閉じるだけで寝られずに半年間過ごさなければならない状況は、世界でも一人か二人しか経験していないのではないかと思います。

無念という言葉の本当の意味を、その立場になってやっと分かりました。これを書いている間も、歯肉のなくなった歯の妙なきしみや足の裏の骨張った感覚を気にせざるを得ません。本来のあるべき身体でない違和感を。』


『繰り返すが精神安定剤ごときでこんなになるなんて、死んでもこのブログは残り、多くの人の目に触れることによって同じ過ちを繰り返すことを未然に防いでほしいと願う。

不名誉な「先達」としてはそれのみ願う。

自助グループやネットの他者のHPにもお邪魔したが、自分のような致命的な症状を現状持つ人はいないといってよい。もっと薬への感受性が高かったのなら早く止められたのにと思う。』


30歳やそこらでは、それまでにせいぜい、内科、整形外科、耳鼻科、眼科くらいの受診歴しかない。行ったら、面談とせいぜい血液検査程度で、拍子抜けする。薬はないの?ということになる。ここが人生の大きな転機になる可能性がある。お土産として薬を要求する、処方される、飲む、慣れる、この過程が一番危ない、私のように取り返しがつかなくなる。

本当に薬が必要な人はいるが、大多数の人は服用不要、もしくは短期間限定で十分だ。

社会にこのような取り返しのつかない危険がぱっくり口を開けて待っている。他科の薬も、自身で調べて飲むようにしてほしい。人任せにしない学習か自衛しかない、医者は製薬メーカーの資料程度の知識しかない可能性が十分にある。危ない、本当に危ないから、自分のようになってからでは遅い。』



影響を受けやすい方は読まない方が良いかも。



ブログは、とても重い内容です。


治癒の見込みの無い死の恐怖の中で、匿名で

見栄も建前も体裁も無い本音の吐露だからこそ、強く心に響きます。


医療や薬の闇を知らない人は、共感力と想像力があれば、多様な角度から、学ぶことは大きいかもしれません。


医療のみならず、人を機械の様に24時間働かせる組織構造に飲み込まれた人のあり方など


この世界の狂気的な環境に違和感を持たずにここまで来てしまった人類の愚かさも、考えざるをえません。


今、生き方を改めて、自分も他者も助け合いながら生きる寛容な社会を自らの意思で創りたい、と心からおもいます。


自分も尊重し、同様に、他者も尊重する。


どんな形でも良いから、社会を変えてゆく一歩を踏み出す。


多様性を受け入れ寛容になる練習を、

一連のコロコロ騒ぎを通じて、

私達は今 課せられているのかもしれません。