自分の想念で

この世が創造されている

と、腑に落ちて、


更に意識が進化すると、

氣付くことがあります。


自分以外の全ての登場人物は、

自分を磨く砥石であると同時に

自分の分身であること。


直接、自分が経験しなくても、

見聞きした事柄でさえも、

自分にも責任の一端があること。


その写し鏡を

他人事と切り離したり、

批判したり、

責めたり、

呆れたり、

バカにすることは、

自分へ同じ感情を向けていること。


意識が向いたことは、

全部自分の内側にあり、


自分が出した感情は、

必ず自分に戻ってきます。


なぜなら、

自分の世界を創っているのは

他の誰でもない自分だから。


優劣で自他を分離する意識は捨てよう、

と決意したとき、

古い価値観から自分を解放し、


新しい境地で、

新しい世界を

経験する段階に入ります。



皆、学びの途中です。


例え、誰かがワクの害に気付けずに、

病気で苦しんで死んだとしても、


その事実は、

その人の家族や周りの人に

波紋を広げて影響を及ぼし、


やがて、いつか、誰かにとって、

氣付きへの道に繋がります。


医療を盲信して、

治ると信じて14年間入院した父も、


無言で自分の姿を見せる事で

大きな教えを

私に残してくれました。


今生、自分を犠牲にすることで、

誰かに教える役割を担うことも

あるのです。


鬼の役割を敢えて担って、

他者の目覚めを促していることも

あるのです。


それは、今、この瞬間には

わからないことでも、


大きな意図が隠されていることも

あるのです。


それを見出す目的を持って、

生まれて来ているのかもしれない。


それぞれの学びがあるだけです。


皆、ここに生きることを

許された同志です。


誰のことも責められないし、

責める権利もないのです。



自分で自分の姿は見れないように、

愛そのものの自分も

自分だけではわからないのです。


だから、鏡という外側を通して

自分を見るために、

私たちはここに生まれたのですね。


光も影も愛も憎しみも、

外に見えるものは、

本当は、全部、

自分の内側にあって、


外側は、それを見せる

きっかけでしかないのです。


豊かな内なる自分に氣付く旅、

それが人生です。


より深く自分を知るほど、

繊細な波動を感じ取り、

愛に氣付けるようになります。


ひとりで居ても、誰と居ても、

至る所に愛を感じるようになります。


頭で考えすぎす、

リラックスしてきます。


自分の中心に居て、

自分の人生に

集中できるようになります。


皆がそんな生き方を目指すフェーズに

地球は進化しました。