わたしがいきるということ

わたしがいきるということ

福岡生まれのシンガーソングライターの日常。
もとい、岐阜県在住のロマンチスト詩人主婦の記録。
本当の意味で夫婦で心地の良い生活にむけて。いろいろやね。

いやーーー。どうも4年後の自分です。


このアメブロ自体観るの久しぶりすぎるし、このブログにたどり着いた経緯がまたもう、、運命ですか?の連続でした。


福岡の薬院にあったピアノパブ街路樹。マスターが2年前くらい?かな?に亡くなられたみたいで。(バイトしてたときの同僚の方に教えてもらった)


わたしが街路樹で働き出した頃に1番仲の良かった(勝手にそう思ってる)あゆみさん。と、Instagramでひょんなことで久しぶりにDMしてたらマスターや、街路樹の話になって。あゆみさんが懐かしがってネット検索したら、このブログ見つけたそうで!!!


まさにこの4年前の12/20の記事を見つけてくれたみたいで、リンク送るねー💖って送ってくれたのが一個前の記事でした。


しかもそのDMしたのが12/20だから、ちょうど4年前だっての。


なんだこのまたタイミング。こわいわ。マスターのお導きかね。死んだら優しいんか?生きてるときは鬼だったのに、マスター。(勝手な解釈)


あゆみさんが完全に使者として伝えてくれたんだわ。。😇まんまと昔の自分の記事見て、涙出てきましたわ。(イタイやつ)


もう寝るべきなのに夜中の3:30に書き殴ってます。

というのが、ここ最近珍しく心が疲れ切ってたから。昔の自分の書いた文章に励まされました。

自分好き遊びすぎる究極。

この時期、悩む習性なのか?冬はそういうときなのか?



4年前のわたしへ。今は某パスタ屋で(検索にかからんようにこのブログでは名前死守しよ)、相変わらず夫婦仲良くお店やってますよ。仲良くは嘘だけど、たぶん仲良いよまだまだ。でも今は2人だけじゃなくてバイトの方1人と従業員1人しっかりと雇ってやってます。


お店はおかげさまで順調でリピーターさんや常連さんもできました。もちろん毎日安心はしきれないしヒリヒリする日もあるけどお店はずいぶんうまく、まわってらと思います。今は。


でも人に教える立場になってたり、自分の納得のいかない部分を人に伝えるという今まで苦手で逃げてきた部分とかなり向き合わされてます。

雇われることしか知らなかったら、雇う側に立ってクルンと世界や社会の見え方が変わりました。


自分にだけ伝わる言葉で喋ってちゃ、相手に伝わらないし相手に思いやりがないということにも気づけた。


上の人の文句(上司とか社長とか政治家とかえらいひとたち)をグチグチ言ってた側から、自分がそっち側になって、「ああ、、判断したり決断したりするには誰かに文句言われることも仕方ないんよな、、。上司もみんな迷って悩んでるよな、、。」って情けない部分もあるけど、人はみんな完璧じゃないから許し合っていきたいし、許してね、、みたいな弱い部分もたくさん出てきました。それが結果強さに繋がるんだろうと信じたい、みたいな思いも。




でもそうしてると、責任とか立場みたいなのも4年前と比べて出てきてるから言えないことや言わなくていいことも出てきたり選んだりしなくちゃいけないことが多くもなった。言葉を選ぶようにもなった。




そしたらそりゃそうだけど、そんな選択の中で100言いたいことを20にすると、80のチリのようなものが心にたまってく。言いたくても言えないチリみたいなものが。どんどん、たまってく。


それで周りやお仕事や生活は、円滑に回ってくんだけど、自分の中にはどんどんたまってく。そんなときに、このブログに再会できました。(あゆみ使者ありがとう)




4年前のわたしはめちゃくちゃまっすぐやなあ。なんなら、今のわたしがちょっと苦手なキャラやわ。🥺

でも、眩しいし自分の内側とちゃんと向き合ってて楽しそう。


そしてその無邪気な時間を作って、心の下地みたいなものができてたから今があるのも実感してる。昔のわたしはいろんなものにたくさん影響を受けてすごいスピードで変わっていってた。


今は、いろんな面で与える側になってる気がする。そうすると世界は広くなるし、増幅すらするけど、自分の心が気づけばおざなりになってる




今夜は音楽を聴くと、じわあっと目に涙が滲んで癒されて。安藤裕子さんののうぜんかつらがよすぎて。沁みてる。あと、月桂冠 つき のCMに浄化されました。










こういう空気感を、心に忘れたくない。忘れかけてた。ロマンチストのかけら。心が、疲れてるんだろうなあ。自分にきづいて〜!大事にして〜!て、魂みたいなものが叫んでるのがわかる。。😣(こういうのは昔の瞑想行為のたまもの。そゆのすぐ気付けるようにはなってる。)



文面は昔に比べるとテンション低いけど、感情の奥行きやグラデーションは4年前よりもずいぶんと広がった気がします。なんか落ち着いてて大人やなあ。



このブログ、いいな。すらすら書けちゃう。言葉選んでないから。そうか、これが裏アカか。(たぶんちょっとちがう)




ずいぶんと、エモい1日でした。エモいって現代語すぎて使いたくなかったけど、いわゆるいとをかしの世界よね。趣がある、とか。


平安時代もきっといろんな言葉が生まれてて、うがってみてた人もいたけど後世に残っちゃった!みたいな言葉もあったはずよね。と思えば、気軽に使ってみてもいいのかな、なんて。時代を反映する言葉だし。


ずいぶんと4年前より、感情を言語化することができるようになった気はする。それで便利になったこともあれば、つかれたり失ったものなんかもあったり。


エモさが、ねえ。弁が立つと、エモさがねえよね。(自分ツッコミ)




そして最近のわたし貼っとこ

お店でおちょけてます




京都旅 ニューヨーク本店行ったけどね!と旦那にイキる私




4年後のわたしは、39歳。最後の30代。どうなってるだろう。変わってなくてもいいし、変わってたらまたアンサーください。なんかまた責任マニアみたいになって、なにか背負ってたりするのかな?



自分ひとりでなにかをしてるってことはないだろうけど、くまちゃんにひっついてまたなにかやってるかな?そもそもくまちゃん、生きてるかな?一緒にまだ、いれてたらいいな。それだけで、いいな。


あ!欲を言えば、本とか出してたいな。わたしもたくさん本に救われたから、救えるような本。だれかを救いたいという目的は傲慢だし、そんな気持ちではなくていいし、そのだれかが自分だっていいか。




今日は某カフェの忘年会のお仕事をして、軽くクタクタになりながら回転寿司で2人で2600円分食べて、コンビニの値段を見ずに食べたいアイスを4個買って、1個をふたりで分けて明日のお休みのために残りは冷凍庫に。


あとは体に悪そうなお湯で溶かすだけのカフェラテを飲んで、横になりながら水曜のダウンタウンをふたりで笑いながらみた。そしてわたしだけ寝ちゃって、変な時間に目が冴えて、いま。すごく、こういうのが幸せ。


子供はわたしたちには今はいないけど、ふたりでもほんとに幸せだな。


あ、4年後子供いるかな?ふふ。


たまにこのブログ、書こう。ちょっとカテゴリの名前もへんなのばっかりだけど、昔の自分のままでいこう。今日は力こぶカテゴリやな。なんやねん、力こぶ。




Amebaの機能で、4年前の記事が出てきたので読んでみた。




4年前の私といえば、バリバリの仕事女。
福岡市の薬院という気高き土地で、ピアノパブのチーママをやっててんね。(まあ、名ばかりで肩書きをもらって働いてただけだけど)




文字では、まあ、ツラツラと前向きなことを書いてるけれど、今思えばかなり無理をしていた。

でもそこのマスター(当時69歳)を始め、一人暮らしをして仕事してきて、アパレルの店長や、音楽活動の先輩たちなどの大人にもまれたからこそ、今まで人間関係で悩んだことがないという、ギフトをもらったんだなあ。




そして、当時の彼女はこの先バリバリと仕事をしていくつもりだったみたいだし、結婚なんていつするの?と言ってましたが



4年後には結婚して1年がすぎているよ。
しかも岐阜県岐阜市に住んでいるんだよ。



え?!なんで?!そんなことに?!という流れになっていることを、ぜひ教えてあげたい。




今している "無理" という鎧をドーーーンとおろして、クズにもどったら、トントントーンと見えない力に動かされたよ





そして4年後もまた、未来の自分に今とてもじゃないけど予想もできないことになってるよ、と言われているんだろう。



4年後といえば、35歳。わたしのことだから、まだまだ悩んで迷っていろんなことにチャレンジしてるんだろう。









昨夜は、福岡の家族のことでバタバタと騒いでおりました。
わたしの感情は、デトックスしまくりでした。













実親のふたりは、やさしさと楽しさ、ポジティブのかたまりみたいなひと。


昔はそのパワーで守られてきたし、一見いい環境だと思われるが、実際の世の中はというと、それだけで乗り切れないこともある。



そして、その優しさと褒めと明るさがときに渡す相手にとっては、傷つけてしまう鋭い武器になることも知った。





つらい かなしい

のネガティブに慣れていなかったわたしは、世の中そんなにいいことばかりじゃないってことを親元から離れるまで知らなかった。





わりと生活ってつらいことばかり。



でもだからって、それが悪いわけじゃない。





わたしの両親は、いいところだけを見せて悪いものにはフタをして、見ないようにしてきたように思う。


それがあの人たちの子供と家族の守り方だった。


だから外に出ると、つかれてたり、ネガティブな人がこんなにも多いのか、とビックリしたもんだ。




そんだけわたしは今までいい思いさせてきてもらったから、親から離れてたくさん修行しまくったんだと思う。



改めて周りの人で自分は作られているんだと思う。そして、そんな自分は自分1人しかいない。







くまだくんの会社人としてのお仕事はひとまず、今日で最後。明日からお店をオープンするまでは、スーパーニートだ!(仕事はするけど)


わたしも追って、年末までにはニートになるので、夫婦揃ってニート!!


ひょえー!!




なので、くまだくんの会社の人たちにありがとうのお菓子を買いに行ったり、わたしのバイト先のみんなに渡すお菓子を買ったりと、最後まで、雇われていた喜びと感謝を感じ切っております。





さあさあ、これからどうなる。

4年後はどんな生活になっている。



ひとまず、今夜は実家でくまだくんの慰労会。





4年後の自分のためにも、今の自分のためにもいまを、楽しみきります。



今日はいちにち雨だったなぁ。






さてさて、昨夜のカレー 明日のパン 全部観きりました。




どうしよう。わたしはとってもいいドラマに出会えました。









そして、高山なおみさんのきえもの日記も3分の2を一気に読み上げ、ブログを書いています。




ドラマを観て、頭も体も心もカッカしてまったのか、地元福岡の先輩から素晴らしくパワフルな引き出ものが届いたからか、、くまだくんと色々と語り合うこと1時間半。



喉がカラッカラになりましたとさ。










この写真たちは3話のものだけど、くまだくんに話すことが4話の 幽霊と△ の回のことがやたらと多かったから、きっとわたしは4話が印象深かったんだろうな。



単純に一番泣いちゃったしな。




えぐえぐ泣いてるのに、最後のテツコが縁側のギフをみながら「えっ。あの酔っ払いのさみしいおじさんに?」と岩井さんにいうシーンで、ブッと吹き出しちゃった。



わたしはきっと、ドラマの制作者さんたちの思うままに泣いて笑って楽しんだ!と胸を張れます!











高山なおみさんを始めとするフードチームのみなさんの料理もほんとうにほんとうにおいしそう。(本を読んだからこそ、料理に携わるひとが、高山さんひとりじゃなかったんだ、ということも知れてうれしい。)





パワスポの3人(4人?)が用意していく法事のごはんも本当に最高。ちらし寿司なんて、きれいでおいしそうで、思わず目をキラキラさせてみちゃった。






少し話は逸れるけど、わたしの好きなテレビ番組や映画や漫画は、必ずと言っていいほど ごはんにフォーカスされたものや、ごはんがなくてはならないものばかりだ。





深夜食堂、孤独のグルメ、かもめ食堂、サラメシ、きのうなに食べた?や、海街ダイアリーなどなど、挙げるときりがない。。





(その理由は実は数日前に、勝手にわたしの中で明確になった。ちょっと奥深い話になってしまいそうで、割愛。)



高山なおみさんと、木皿泉さんの存在を知れて本当にうれしい。



そして、このドラマを心からおススメしたい。原作も絶対に読んでみたい。

もう登場人物は、頭の中でテツコは仲さんで岩井さんは溝端くんが再生されるんだろうけど、、、、笑