日比野真琴のブログ

日比野真琴のブログ

ブログというよりコラムに近いです

日々の生活で感じることや

自分自身に言い聞かせたいことを綴ります


賛否両論あるだろうと思いますが

あなたの心に

何か残せたり感じさせることを書ければいいなと思っています

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『辛も幸も おすそわけ』




例えば

心を動かされた映画を観たときとか

めっちゃ美味しいものを食べたときに




「あの人と一緒に観たかったな〜。」とか

「今度はあいつと一緒に来たいな〜。」

って思うことありませんか?





それは

きっと共感したいから





誰かと共感し合えることは

人生において

一番 幸せなことだなぁと思っていて




たとえ

お金や時間を たくさん持っていたとしても

共感し合える仲間が誰一人いなければ

ただ虚しさを感じるだけで

きっと楽しくないよなぁと思ってしまう





自分が「幸せ」を感じたときには

その喜びを共感して

分かち合ってくれる人がいてほしいし



自分が「不幸」を感じたときには

その苦しみを共感して

分かち合ってくれる人がいてほしいし



大切な人が「幸せ」を感じているのなら

その喜びや楽しさを共感して

分かち合って一緒に喜んであげたいし



大切な人が「不幸」を感じているのなら

その苦しみや悲しみを共感して

分かち合って 元気付けてやりたいなと思う





僕が幼いころに

すごい高熱を出して寝かされていたときに

おかんが言ってくれた



「学校に行って友達とも会えへんし

ごはんも食べられへんし辛いよなぁ・・

お母さんが変われるもんなら あんたと変わってやりたい・・」



そう言ってくれた心を

今 ようやく理解できる歳になってきた




そうやって

楽しいことも  幸せなことも  辛いことも

自分が抱いた感情を

誰かと深く分かち合うことができるなら




たとえ

どれだけ辛い状況であったとしても

それは「幸せ」という

カテゴリーに含まれるような気がします





その考えを

反対から考えてみたとき




大切な人だったら

自分の感覚を分かち合ってくれるはず

っていう押し付けじゃなくて



自分の感覚を

分かち合おうとしてくれる人こそ

自分にとって

本当に大切な人なんかもなぁ と思う





「辛い」という漢字と

「幸せ」という漢字



文字自体は似ているのに

意味は真反対のよう



「辛い」という漢字に

「一」を足すと

「幸せ」という漢字になる




その「一」っていうのは



自分のそばにいてくれて

自分の抱いた気持ちに共感してくれて

お互いに辛でも幸でも感情を分かち合える



そんな人のことなのかもしれないな




この2つの漢字を生みだした人は

そんな意味や願いを込めて

文字として表してくれたのかもなぁ