私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。
(早雲は最初は伊勢新九郎盛時(いせしんくろうもりとき)と名乗っています。)
1493年に、伊豆を討ち入り、自らの居城を伊豆国の韮山城(にらやまじょう)に置いた盛時には子が授かりました。
伊豆討ち入りよりの前の1490年には三男が誕生しています。
これが後の氏広(うじひろ)で母親は側室で駿河の葛山氏(かつらやまし)の娘です。
葛山氏は駿河国の有力豪族で鎌倉時代には執権を勤めた北条氏(ほうじょうし)に仕えていたんだよ。
さらに1492年には側室の伊豆の狩野氏(かのうし)の娘・善修寺殿(ぜんしゅうじどの)との間に初めての女子が誕生しました。
名を松子(まつこ)、後の長松院殿(ちょうしょういんどの)です。
そして伊豆討ち入りを果たした1493年には側室・善修寺殿の間に男子が生まれました。
幼名を菊寿丸(きくじゅまる)、それが私です。
ようやく、この語りの幻庵さんが生まれたね。
盛時はすでに62歳になっていましたがまだまだ血気盛んでした。
韮山城に入った盛時は伊豆国を治めるために動き出しました。
盛時は高札を立て伊豆国の国人に呼びかけたのです。
その内容は、
「味方に参じれば本領を安土する。しかし拒否すれば作物を荒らし住居を破壊する。」
小太郎(こたろう)「これは…」
盛時「堀越御所を滅ぼしたとはいえ、まだ伊豆国は平定されてない。そのためにも国人らをまとめねばならん。それに…。」
小太郎「逃亡している茶々丸(ちゃちゃまる)だね。」
盛時「そうだ。茶々丸はどこかの国人の元へ逃げるだろう。奴を味方する国人を見極めて討たねばならん。小太郎、茶々丸の動きを探っておいてくれ。」
小太郎「承知したよ!」
盛時は高札で厳しいことも書きながら一方で善政を施しました。
自らの兵に乱暴狼藉を厳重に禁じました。さらに領内の病人を手厚く看護したのです。
これにより伊豆国の国人や民が次々に従ってきたのです…。
つづく…
次回をお楽しみに〜