私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。
(早雲は伊勢早雲(いせそううん)と名乗っています。)
1504年、早雲は扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)の上杉朝良(うえすぎともよし)殿、今川氏親殿と共に武蔵国立河原で関東管領の山内上杉家(やまのうちうえすぎけ)の上杉顕定(うえすぎあきさだ)殿と古河公方・足利政氏(あしかがまさうじ)様の連合軍と戦い、それに勝ちました。
この戦は戦死者が二千人も出たんだよ。
上杉顕定殿は命からがら逃れました。
顕定「おのれ〜!今に見ておれ!」
顕定殿は本拠地の鉢形城(はちがたじょう)に逃げ込みました。
勝った上杉朝良殿は上機嫌でした。
朝良「やったぞ〜!山内上杉家なんぞ恐れるに足らず。」
早雲「朝良殿、とどめを刺すために鉢形城を攻めましょう。」
朝良「いや、その必要はない。顕定はいつでも討てるわ。皆、本拠地へ帰って静養しよう。」
早雲は一抹の不安がありましたが、朝良殿に従い伊豆国韮山城に帰ったのです。
今川氏親さんも駿河国に帰ったんだよ。
しかし、早雲の不安は当たったのです。
顕定殿は戦の前に実弟の越後国の守護、上杉房能(うえすぎふさよし)殿に援軍を要請していたのです。
そして房能殿の命を受けた越後守護代の長尾能景(ながおよしかげ)殿が兵を率いて鉢形城に入ったのです。
守護代は守護に変わって政務を行なうんだよ。長尾能景さんは上杉謙信(うえすぎけんしん)さんのお祖父さんなんだ。
能景「顕定様、朝良が休んでいる今こそ好機!攻めましょうぞ!」
顕定「よし!出陣致す!」
越後の軍を主力とした山内上杉家の軍は扇谷上杉家の諸城を落とし自らの武将を城の城代に入れたのです。
これにより朝良殿と早雲、氏親殿は遮断されたのです。
早雲が山内上杉家の動きを知った時は既に遅かったのです。
そして山内上杉家の軍は朝良殿の河越城を取り囲み、どうすることも出来ない朝良殿はついに降伏したのです…。
つづく…
次回をお楽しみに〜