私は北条早雲(ほうじょうそううん)の子・幻庵(げんあん)です。
(早雲は伊勢早雲(いせそううん)と名乗っています。)
早雲が体勢立て直しに動いた1511年、扇谷上杉朝良(おうぎがやつともよし)殿は山内上杉家(やまのうちうえすぎけ)の跡目争いの仲裁に入っていました。
山内上杉家は亡くなった顕定(あきさだ)さんの2人の養子、顕実(あきざね)さんと憲房(のりふさ)さんが跡目争いをしていたんだ。
しかし、仲裁の甲斐なく争いは激化していきました。
さらに古河公方の足利氏(あしかがし)でも争いが起きたのです。
古河公方は元は鎌倉公方だったけど、先代の成氏(しげうじ)さんの時に古河の地へ移ったんだよね。
古河公方の足利政氏(あしかがまさうじ)様と子の高基(たかもと)様との間で争い、朝良殿はこの争いの仲裁も入ることになりました。
朝良「まったく〜。山内上杉家だけじゃなく、古河公方家まで揉めるとは!わしは忙しいわ!」
早雲はこの状況を見て、ついに決心します。
早雲「氏綱(うじつな)、小太郎(こたろう)!三浦道寸(みうらどうすん)を攻めるぞ!扇谷上杉朝良が動けぬ今が好機ぞ。」
小太郎「いよいよだね。」
氏綱「我が軍勢の体勢も立て直しました。いつ父上の下知があるか、皆待っておりました。」
小太郎「三浦は我らが朝良と和睦したことで攻めてくるとは思ってないよ。油断してる。」
早雲「では道寸のいる岡崎城を奇襲するぞ!」
道寸さんは岡崎城を居城としていたんだ。
早雲の岡崎城奇襲は成功し、岡崎城は落城。扇谷上杉家と和睦したと思っていた道寸は驚愕しました。
道寸「和睦したはずの早雲がなぜに〜!和睦は偽りか⁉︎ 」
この奇襲で道寸は自らの弟の道香(どうか)が守る住吉城に退却しました…。
つづく…
次回をお楽しみに〜